1982年の夏 -3

  • 2018年08月24日

精霊流しはよく知らなかった。

そもそも急に決めた旅だったから精霊流しがいつ催しされるのかすら知らない状態だった。

ユースホステルの人たちに誘われて街に出た。

 

空が赤く染まるほどの爆竹。

耳を劈く。

大きな精霊船。

まるで祭りのようだった。しかし祭りではない。

お盆に開かれるし、名前から仏教の儀式ということは理解できた。

原爆の悲惨さを初めて感じた日だった。

 

長崎は坂が多い。

路面電車が走る港町。

 

人生で一度しか精霊流しには参加していない。

貴重な体験だった。

父がどのような想いでわたしに一人旅をさせたのかはわからない。

夏休みを一緒に遊べないことへの贖罪だったのか?

それとも経験を積ませたかったのか?

鬼門に入った今となっては聞くすべはない。

 

父と同じように起業して、苦労して、お客様とスタッフに支えられて生きてきた。

仕事ではねぶた祭り、七夕祭り、山笠祭り、エイサー祭りなど、各地のお祭りに関わらせてもらった。

どれも素晴らしかった。

生前にそれらに連れて行くことができなかったのは心残りだ。