Souvenir de la Havane

  • 2017年11月03日

筆が進む日もあれば 進まない日もある。

筆というよりもパソコンを使うのだから指といったほうが適切だろうか。

新たに始まる新聞連載の記事を書かなくてはならない。

10週分の3週までは終わった。あと7週間分を時間があるときに進めなくてはならない。

そしてもう直ぐ行う講演会の資料を一から作っている。

100ページほどである。

受講者にはできるだけ新しくてホットな内容を届けたいからだ。

しかし、時間があるからといって筆が進むわけではない。

その日の気分とかに影響されるのだろう。

筆が進む日は飛行機の中だろうが、電車の中だろうが、どんどんと書けてしまう。

しかし、筆が進まない日は1行もかけない日もある。

不思議なものだ。

 

調査報告書を書くときは気分に左右されることは少ない。

それでも1日5ページ程度が精一杯だろう。

わずか1行を書くために、1週間各地を奔走したこともあった。

自分が調べて納得したものしか書けない性分だからだ。

炬燵記事など1行もない。

他の誰かが調べてものを鵜呑みにするほどアホではない。

それはコピペであって努力ではないのだ。

 

今は報告書ではない。それでも中々進んでいかない。

こんな日は、フレンチジャズを聴きながらゆっくりと作業している。

 

剥奪と開発

  • 2017年11月03日

剥奪という言葉は嫌いである。

経済学で有名な「相対的剥奪」は英語でも「relative deprivation」(マートン)

人が抱く不満は、その人の置かれる境遇の絶対的な劣悪さによるのではなく、主観的な期待水準と現実的な達成水準との格差による、という考え方である。

しかし、SDGsを考えていくときに、剥奪としての貧困は必ず検討しなくてはならない箇所である。

人間開発指数(HDI: Human Development Index)を用いるのか、

多次元貧困指数(Multidimensional Poverty Index)を用いるのかなどの技術的な点はさておき、

何かを略奪した覚えはないというのが一般的な感情ではなかろうか?

もっと適切な言葉がないだろうか?焦燥とか蹉跌とか。

ちょっと違うか。

しかし、relative deprivationの意味していることは、何かを略奪したとかされたとかいうものではない。だから、単語と意味が合致しないから誤解を生みやすいのだと思う。

そもそも大した論でもないと思う。

いずれにせよこれからは「開発」がキーワードになりそうだ。

ESDを軸として教育制度の改革が必要だと感じている。