Quality of Life

  • 2008年08月31日

8月31日。夏が終わりますね。21年前の今日はGreyhoundの長距離バスに乗りマイアミからニューヨークに着いた日でした。紫色の朝靄に煙る摩天楼。ミッドタウンのバス停に着いた時は右も左もわかりませんでした。冷房のないダウンタウンのYMCA。もちろんバスも共同です。寝苦しいので窓を開けると街角吹いているサックスの音が部屋に入ってきます。
あれから幾度となくこの街をたずねました。
ビジネスクラスのフライトとストレッチリムジンで移動しWALDORF ASTORIAに泊まる生活。それはそれでとても快適です。
しかし最初に観た感激というのは引けを取るものではないのですね。

人間便利なもの快適なものに弱いものです。
『生活のレベルは落とせない』という言葉をよく聞きます。
そうなのでしょうか?

Quality of Life
自分の生き方に自信が持てればちょっとぐらいshabbyな物は気にしなくなってしまうのではないでしょうか?

何年か前にうまい具合に比較する機会がありました。
仕事でまさに先ほどのような豪華バージョンの旅をした翌月に、国境なき医師団の合宿でバストイレ共同の窓を開けても隣のビルの壁しか見えないホテルに泊まりました。
あの日と同じように501のジーンズ、HanesのTシャツ、レッドウイングのブーツを履いて。
全く苦になりませんでした。それは短期間だから大丈夫だったのかもしれません。しかし何度同じことをしても苦にならない確信があります。人によって生活の質を落とすことが苦にならないものだと思います。世間体や他人の言葉ばかりが定規になってしまわないようにしたいものです。
豪華な物は当たり前になってしまっては有難味がなくなります。
たまにある贅沢がうれしいものでしょう。日本は生活の質の低下を極端に恐れる人が多いのではないでしょうか?
生活の質とQuality of Lifeは別物だと思うのですがいかがでしょう?