大切な人を失った

  • 2011年01月27日

砂を噛むような想い。
何度も味わってきた。
短い人生。
一緒にいれる時間は限られている。
だからこそ相手を思い遣り大切にすべきだろう。
失ってからその有り難みを感じること自体相手に失礼だと思うのだ。
一緒にいる充分余りある時間を大切にしてこなかったからだろう。

恩師でも、家族でも、恋人でも、友人でも、同僚でも。
今いる人たちを精一杯大切にして生きて行くべきだろう。
急な訃報。嫌なものだ。
さよなら先生。
お世話になりました。
告別式に行くからね。
ふと、学生時代に読んだ中原中也の詩を思い出した。
「お天氣の日の海の沖では」という名の詩だったはずだ。 
青いまま熟すことなく去っていったボヘミアン中也。
さうして働いた幾年かの後に、                       
人は死んでゆくんですけれど、                       
死ぬ時思ひ出すことは、多分はお天気の日の海のことです 
哀しい詩である。
俺は死ぬときに晴れた海のことを思い出すのであろうかとふと考える。