祖父の墓参り

  • 2011年02月20日

ジャカルタ市内に祖父が眠るプタンブラン墓地があります。
墓地に着くと見覚えの或る人々が群がってきて祖父の名を私に呼びかけます。
毎年1、2度来ていると顔を覚えられたようです。

いまだに祖父の映画が偶然見つかって東京国際映画祭で上映されたり、NHKなどで特集を組まれたりしています。
このインドネシアにおいては映画の父と呼ばれ絶大なる影響力を持っていた事がわかります。祖父は私と同じ年代で亡くなりました。
早熟であり、時代に翻弄されたのでしょう。
墓で寝泊まりしている人々にチップを渡し綺麗に掃除してもらいます。
大勢で取りかかるからあっという間に見違えるようになります。
遠くインドネシアの空の下、祖父は何を思って亡くなったのでしょうか?
思い出したのは日本に残してきた家族の事でしょうか?
遺伝子を継ぐ者として直感的に分かりました。
たまに輪郭が似ていると言われます。


燃えつきたいと望むならば

  • 2011年02月20日

随分前に、金がなくなったり、命を危険に晒す事は何故か怖く無くなりました。
それよりも、社会的意義を見いだせなくなった仕事を続けることの方が怖くなった時に起業しました。

正直なところもう一歩も進めなかった。
自分にだけはウソをつけきれないものです。
20年近くどっぷりと浸かっていた業界から目立たないように静かに去りました。
一度しかない人生をもっとヒリヒリと生きてみたかった。
中年の危機というものかもしれないですね。
しかし渇いたものを潤す為には捨て去ってから踏み出さなくてはならない。
もがき苦しみ助けられて進まなければ見えない世界があるのでしょう。
以前読んだ沢木耕太郎の敗れざる者たちの中に「人間には、燃えつきる人間とそうでない人間と、いつか燃えつきたいと望み続ける人間の三つのタイプがあるのだ」と書いてありました。
いつかヒリヒリするような夏がくるのでしょうか?
私はいつかを待たずに次に向かいます。
次はアフリカ・モザンビークを予定しています。

今夜は満月でしょうか?
ジャカルタの夜を照らしています。