脱原発デモ 6.11

  • 2011年06月11日

全国約150カ所でデモが開かれたそうです。
原発を廃止してほしいとの想いが行動に繋がったようです。
脱原発でも反原発でも卒原発でも減原発でも言葉は何でもいいと思います。
言葉遊びしている程世の中は暇でも平和でもありません。
反対だけでなく今後のエネルギーの方針の明確化と財源の確保についても建設的な意見交換と収斂がなされる事を希望します。
6月11日。
震災からちょうど3ヶ月になります。
そろそろ語ってもよい時期かなと思います。
私は震災翌日に福島の原発近辺に入りました。
職場にも迷惑がかからないように単独個人として救命活動の為の現地入りです。
部下を何人も抱える組織の長としての行動として相応しいかどうかの判断は難しいところだと思いますが、私は人道支援のスペシャリストとして一人でも多くの人を救ってあげる事だけを考えていました。
夥しい数の被災者。
瓦礫に埋もれた生存者を捜そうにも視察目的のヘリコプター等の騒音で僅かな音を頼りにしなければならない作業もままなりません。
余震が続き避難放送が流れているのに、自宅跡から荷物を拾う老人達。
一人でも多く車に乗せて高台に避難してもらうしかありませんでした。
毛布を掛け相当な数のご遺体をご移送させていただきました。
ふとある抑えきれない感情が沸き起こりました。
避難している人と逆行して一人車を走らせました。
人も車も通らなくなった原発周辺。
道路が陥没している個所を避けながら原発のすぐ近くまできました。
お前なんか嫌いだ。馬鹿野郎と叫んでみました。
全く意味のない行為です。
その事で何一つ変わらないからです。
単なる自己満足。
それ以上のものでもそれ以下でもありません。
私は経済合理性、効率性を常に重視しています。
多分この行為は人生でも最も愚かな行為だったのだと思います。
今思い出せば、感情の行き場がなくなってしまっていたのでしょう。
ご遺体を運び、放射能に怯える人々に囲まれていたからこんな行動をとったのでしょう。
では効果が出ないのであればビラを配ろうがデモを起こそうが意味のない事なのでしょうか?
私にはその答えはありません。
しかし感情をぶつけるだけでは駄目だという事だけはわかります。
3月14日の昼前に水素爆発が発生しキノコ雲を目視しました。
ラジオで情報が流れ、知人からの連絡が入り、振り帰ってみると白というよりは灰色の雲が舞っていました。
その後何度か現地入りしましたが、時間が経って振り返ってみても自分の愚かな行動を正当化できる理由はは何一つ無いようです。
内閣官房震災ボランティア連携室をはじめ東日本大震災災害対応に係る政府体制には会合やグループといった名称の組織の数が、大小合わせて28個に上ります。
中にはwebサイトを立ち上げただけで効果を全くあげていない組織もあります。
政治主導といいながら責任と権限の明確化ができなかった菅政権の功罪は歴史が判断してくれると思います。
先日はと或る講演会でお話しさせていただいた後に、政府の批判をしないでほしいと関係者に告げられました。
誤解して欲しくないのですが、私は行政が如何にがんばって働いているか知っています。
そして応援しています。
政府の批判は一度もした事はありません。
政府ではなく、現政権の指導力の欠如については忸怩たる想いがあります。
5月23日の抗議デモ。
福島県の校庭20ミリシーベルト基準撤回を求めて親達が立ち上がった事は記憶に新しいと思います。
小佐古敏荘東大教授が内閣官房参与を「子ども20ミリシーベルトは間違っている」「政府の対応は法にのっとっておらず、誰が決定したのかも明らかでなく、納得できない」
と断言して辞任したことは大きな反響がありました。
細野豪志首相補佐官は「われわれが最もアドバイスを聞かなければならない原子力安全委員会は年間20ミリシーベルトが適切と判断している。政府の最終判断だ」と述べ、変更しない方針を示しました。
その後高木文相は今年度、学校敷地内で受ける放射線被爆量は、「年間1ミリシーベルト以下」を目指すとしたが年間20ミリシーベルト」という基準そのものは撤回していません。
対応に遅すぎる事はあっても早すぎる事はありません。
今すぐにでも改善できる事は多いはずです。
一連の行動から学ぶ事はありました。
世の中を変える為には手段が大切である事。
そして適切で効果的な行動と、単に反対を叫ぶのではなくて次の有効な代替案を進める事です。
原発問題も、経済的な面を切り崩したら推進派はとても少ないはずです。
例えば六ヶ所村の村民の平均所得は1300万円を超えます。
彼らは別に原子力でなくて、極端な話風力発電に関して同様の助成が受けられれば構わないのはないでしょうか?勿論村人が悪意を持って原発を推進している訳ではないのは明らかです。
原子力に賛成しているのではなく、経済的ベネフィットと社会的意義があれば人は動きやすいものです。膨大な対策費やメディア対策目的の意味のない広告費を計上するのであればクリーンエネルギー建設の為に費やすべきでしょう。
アラブの民主化というのが結局は体制を崩すだけで終わり、真の民主化は進まない事が危惧されています。
Facebookをつかって無血革命だなどと言われていますが私にはとてもそうは思えません。
テクノロジーは伝達手段の効率性を高めた事はあってもそれ以上のものではありません。
本質であるその先の明確なビジョンもなければ行動もまだ起こされていないからです。
むしろマイナス作用に働いた時は煽動の道具になりえます。
震災から3ヶ月が過ぎました。
政権は揺れています。被災者の心労もピークです。
ゴールデンウィーク後のボランティアの数も減少しています。
私も再度現地入りするつもりです。
現場に立たないとわからない事ばかりだからです。
現場を知りもしないで何かを批判すべきでも、始めるべきでもないと思います。
色々とご事情のある方は勿論現地入りは厳しいでしょうが、そうでないのならば少しでも役に立つ為にあなたも是非参加してみてください。