平和についてあらためて考える

  • 2010年12月30日

武器を捨てたら平和がおとずれるか?
ルワンダの80万人以上とも言われるジェノサイトで使われたのは銃器ではなく棍棒とナタでした。核兵器や銃がなくても人は簡単に殺せます。
スリランカでは反政府組織を根絶やしにして平和がおとずれた。
平和的な解決ではなく武力による制圧で平和になった訳です。
シオラリオネでは50万人を殺害したRDF幹部に恩赦を与えるどころか副大統領にまで抜擢した。6千人にも上る子供兵を作り、手足を切断した子供たちが数千人にも達したにも関わらず。
その兵士の多くが伊勢崎賢治さんのチームが作った学校で平和についての教育を実施していたにもかかわらず多くの志願兵が産まれてしまったのです。
無理矢理連れてきて洗脳したのではなく志願した子供たちです。
哀しい話しですね。
暴力の魅力。カッコいいと思う子供が多くいたからだそうです。
そこまで譲歩しなければ和平ができなかったのです。
国連は内政干渉を避けるという名目のもと大量殺戮が終了するか長期泥沼化しない限り軍の派遣は行ってきませんでした。また拒否権を有する常任理事国が当事者になった時にも配慮しながら活動を展開するしかありませんでした。
伊勢崎さんのお話を聞いてあらためて平和というものが脆くそして構築するのが難しいものだと再認識しました。
武力解除も、教育も、国連すら無力なのでしょうか?
泥沼化を避けるには放っておくか、短期決戦の革命しか支持しなければ良いのか?実に難しい問題です。負の連鎖を断ち切る具体的な手段はあるのでしょうか?
日本に平和がおとずれて久しい。いつまでも続いて欲しい。
しかしこの国がこれからも平和だと誰が保障できるのでしょうか?
近隣諸国の動きをみていると不安になります。平和な時代も終身雇用制度も僅か一世代しか続いていないのが日本の現実です。
AKB48が大人気なのも結構です。個人的にはAK47を廃棄することによる効果が本当にあるのか?あるのだったら廃絶の道筋をどうやって作れば良いのかに興味があります。
私は左でも右でもありません。
それにアイデンティティを感じる事はありません。そんな区別よりも、日本が世界に誇れる憲法9条は護っていき変えるべきではないと考えています。英語の原文を読むとより明確に意味が分かると思います。
名文です。拡大解釈の余地も言葉遊びの余地もありません。
しかし平和を維持する為の予防はとても大切なのだと改めて感じました。
年の瀬です。来年が平和な年になりますように。