2007年

  • 2007年12月29日

カーボンフリーコンサルティング株式会社今年最後の営業日となりました。皆様大変お世話になりました。弊社立ち上げにあたり多くの方々のご支援をいただきました。心よりお礼申し上げます。大変有り難く感じております。
日本においてカーボンオフセット事業の先駆者としてこれからも邁進するつもりです。引き続き格別なるご支援のほどよろしくお願い申し上げます。

                                      

私事

ながら、2007年は色々な意味で大きな転機となりました。振り返ればもっといろいろな事が出来たのかもしれないとあれやこれや反省してしまいます。そして様々な素晴らしい出会いもありました。様々な方から色々なご意見をいただきました。残念ながら足を引っ張るだけの人も極稀にいました。その反面信じられないようなご支援を自ら買って出ていただいたこともありました。結局大多数の方々が積極的に支援してくださいました。こんなにも人の助けをありがたく感じた年はありません。ありがとうございました。
唯一誇れるのは、私が動いたことにより直接的・間接的なものを全て合算すると20名程の雇用を創出できた事です。
社会貢献という意味ではほぼ全力で駆け抜ける事が出来た年ではないのかなと少しばかり自己満足しております。
来年は『ビジネス』として大きな成果をあげる年にしてみたいと考えている次第です。
皆様よいお年を!

The Nutcracker

  • 2007年12月29日

姪が出演するというのでバレエの公演に出かけた。噂には聞いていたが大ホールで一流の管弦楽団の演奏でのステージだった。しかも姪は主役のクララに今年も抜擢されていた。私は大人だろうが子供だろうが見る目が厳しい。どんな子供でも可愛くなければ可愛くないのである。しかし、姪っ子の可愛さは尋常ではない。叔父バカといわれればそれまでだがムーディーズもミシュランも真っ青の厳しい評価だと自負している。幼いころから表情豊かな子だった。舞台にはうってつけである。舞台で彼女が寂しそうな表情をすると観客の誰もが寂寥たる荒野に一人取り残されたような寂しさを覚えたであろう。彼女の表情が一転明るく変わると、観客は朦朦たる砂塵の先に一筋の橙色の光を見つけたが如く明るい表情に変わるのである。姪がステージで跳ねると、俺の体は既に空を飛んでいた。四十路の小腹の出たオヤジが空を飛んでいる姿はいただけない。はっきり言って不気味である。いや、俺はカーボンオフセットをしているから汚くはないのだ、と自分でも全く意味不明な程、魅入ってしまったのである。THE NUTCRACKER(くるみ割り人形)は拍手喝采に包まれて終演した。多分知らないであろうから、周りに座っている見ず知らずの人達にも、「俺の姪だから」と教えてあげた。俺は大変親切なのである。
『。。。やがて回廊をめぐりながら、それが芝居の舞台装置の「書割」のことだと気がついたとき、俺は感動で顔を被った。自分が今まで、それこそが世界だと信じてきた物の全ては、虚しい書割なのである。ビルも街路も公園も、それにまつわるあらゆる権威も機能も、いやそこに生活する人間の信義や愛情、すべてが虚構であった。法律や道徳さえも、それらを裏から支えるだけの支柱に過ぎなかった』(浅田次郎)
人生という舞台には強制的に誰もが立たなくてはならない。しかし、公演の舞台に立てる人間は一握りである。今後も晴れの舞台に立ち続けておくれよ。ってやっぱり叔父バカな私でした。

掲載されました

  • 2007年12月28日

月刊 環境ビジネス2月号−消費者をつかむカーボンオフセット戦略 に弊社が紹介されました。
弊社以外にもカーボンオフセットを行っている会社も幾つか紹介されています。皆さんいろいろな方法で地球温暖化防止に奮闘されていらっしゃる。地球温暖化については沢山報道されていながら実際に動いている組織が少なかっただけに、日本におけるこうした動向は大変歓迎すべきことであると考えております。

クリスマス

  • 2007年12月25日

(続き)
2回目の作戦の陣頭指揮を取ったのがアジアに縁が深い元イスラエル人外交官アシェル・ナイムであった。彼は56年から60年まで在日イスラエル大使館に外交官として勤務していた。またソロモン作戦の翌年以降は韓国でイスラエル大使として活躍した。

血と宗教だけで結び合うユダヤ人。それがエチオピア建国の祖メネリク一世といわれている。3000年もの時を遡る壮大な話。その背景にはイスラエル内部の政治的な思惑や、パレスチナ人との人口比競争などの現代の問題があった。現在でも数万人の「ユダヤ人」がエチオピアに残っているといわれている。イスラエルはこの2回の大規模な移送作戦でほぼ全てのユダヤ人が帰還したとする認識を取っているにも拘わらずである。
エチオピアには、イスラエルでの厚遇を期待して、自分たちはユダヤ教徒であると主張する人々が後を絶たない。
是非の議論はともかく、日本では想像もつかない壮大な話である。

クリスマスイブ

  • 2007年12月24日

いつか行ってみたい場所。エルサレム。
クリスマスにちなんでエルサレムの話を一つ。
1985年のモーゼ作戦と1991年のソロモン作戦は有名だが、実はその陣頭指揮を執った人がアジアにとても縁の深い人だという裏話はあまり知られていない。
本当にソロモン王とシバの女王は存在していたのか?
アフリカのエチオピア、特にその北部には、ソロモン王とシバの女王の末裔のファラシャと呼ばれるユダヤ人が古代から暮らしていたと言い伝えられていた。
エチオピアには建国神話がある。紀元前1000年頃にソロモン王とシバの女王との間に子供ができたと伝えられる。
エチオピアでも差別を受けていた彼らを、ユダヤの地イスラエルに極秘に空輸する作戦がモーゼ作戦である。
イスラエルは、そのエチオピア系ユダヤ人をイスラエルへ秘密裏に1985年のモーゼ作戦と1991年のソロモン作戦で空輸した。特にソロモン作戦は軍用機を用いて1万4200人を僅か25時間でイスラエルに帰還させた大作戦であった。シオニズム運動(シオンとはエルサレム市街の丘の名前である。そのシオンに帰るという運動)の一環だといわれている。

85年といえば一気飲みと夕焼けにゃんにゃんがはやった時期である。中曽根内閣の民活路線のもと、3公社の民営化が決定した年だ。
91年といえば最初の湾岸戦争勃発、牛肉、オレンジ自由化、証券会社の損失補てん事件
の年だ。
エチオピアでは移民が禁止されていたので、ファラシャたちは数千キロを徒歩でスーダンの難民キャンプまで移動した。その行程は厳しく、多くの命が飢えや、盗賊に襲われて失った。


明日に続く

土曜日のランドマークタワー

  • 2007年12月22日

最近のサンタは大勢いるらしい。しかもピースサインをしてくれる。


雑誌オルタナに弊社の事を記載いただきました。

最近の記事

  • 2007年12月21日

財界の1月15日号にも弊社の事を記載していただきました

カーボンフリーコンサルティングは環境ベンチャー企業として
①温室効果ガスの測定
②オフセット(相殺)植林事業を積極的に展開しています
また温室効果ガス削減の為のコンサルティングも行っております
ご相談は無料です
温室効果ガスの測定
主たる温室効果ガスである二酸化炭素をはじめ京都議定書で算定対象に定められている6種類の温室効果ガスの排出量を法人・個人にかかわらず正確・詳細に測定いたします。
オフセット(相殺)植林
測定した温室効果ガスの量に見合う分と相殺できる分の樹木をお客様に代わって植林いたします。植林は中国(2箇所)とインドネシア(1箇所)で行います。これは単にコスト負担が少なくするだけの目的ではなく、環境悪化が進行している地域、特に砂漠化、黄砂流出地域、過度の植林伐採地域を選定して、植林のプロフェッショナルが責任を持って植林いたします。
また、生育状況のレポートは勿論、現地視察ツアーも実施可能です。
ご相談は無料です。大小にかかわらずご遠慮なくお問い合わせください。

手帳

  • 2007年12月20日

ずっとLETTSの手帳を使ってきた。およそ十年。色はいつも黒。1ページ毎カレンダーになっていてメモも取れるしスケジュールも管理出来る。おまけにA4サイズだからちょっとした書類を挟めておける優れもの。イギリス製。機能的である。
しかしちょっと堅すぎる。もっと柔らかめの手帳はないものかと色々と捜していた。もう何年も。めでたく来年の手帳に仮採用されたのはMoleskineの手帳である。
200年間もの歴史を誇る。アンリ・マティスやゴッホ、アーネスト・ヘミングウェイたちに愛されてきた。オイルクロス製の硬い表紙と上質中性紙は手帳を酷使する私にはもってこいである。『頑強な表紙を閉じておく為のゴムバンドやリボン栞が組み込まれ、裏表紙内側にはカードボード・オイルクロス製の拡張ポケット付き』と、宣伝マンみたいになってしまった。
相当期待はしているが過去に仮採用されたものの一週間もった手帳はないんだよな。毎年、途中からLettsに戻ってしまっているのである。

大阪生まれの大統領

  • 2007年12月20日

お隣韓国の大統領選挙の結果は大方の予想通り20代から30代の若者層の支持を集め李明博氏が勝利した。今後の経済の舵取りに対する期待の表れである。88万ウォン(約10万円)とは大卒の非正規職の平均給与額だ。20代は韓国で「88万ウォン世代」と呼ばれている。大卒就職率は48%まで低下している。明らかに盧武鉉政権の経済運営は失敗だった。


リクルーティングで随分と色々な国の学生をインタビューしてきた。ボストンフォーラムでは一日に100名以上の学生をインタビューした。面接した学生の大半が日本人にも関わらず最終候補に残るのは韓国人留学生が多かった。高い学費を支払い留学しているにもかかわらず英語すらろくに習得していない日本人留学生が多かった。韓国人留学生のハングリー精神というかガッツには到底かなわない。私にはわからないが戦後の日本を復興させた世代のサラリーマンには同じようなガッツがあったのではないかと思う。経済至上主義に対する是非はともかくとしても、あまりの頼りなさに日本の将来を危惧してしまう。ゆとりある教育プロジェクトの文化省の責任者だった輩は、猛烈な進学校の理事に転身している。韓国名物の猛烈受験地獄が正しいとは思わない。しかし、円周率を3にしてしまう教育が正しいとも思えない。世界と学力テストで比較して、科学と数学の得点はOECD平均を上回っている。〇六年調査で日本は科学六位、数学十位、読解力十五位である。わずか六年前には日本は「科学」二位、「数学」一位、「読解力」八位だった。調査対象の高校一年生は学習量が軽減された「ゆとり教育」世代に当たる。すでに中央教育審議会はゆとり教育からの方向転換を示している。


猛烈に働く人の多い韓国。その中でも、現場重視で「死ぬほどの仕事ぶり」といわれる男。「ブルドーザー」李氏は「危機にある韓国経済を再生させる」と勝利宣言で述べた。薄汚れた高速道路下の溝川を綺麗な河にしてバス専用道路を設けたソウル市長時代。猛烈な実務家である。個人的な意見ではあるが、経済至上主義に代わる何かを日本が示すことができるのであれば、経済が後塵を拝しても構わないかもしれないとは思っている。しかしその片鱗が見てこない。小さな利得にしがみつき、大局を見失ったようだ。一昔前の日本のエリート像は脆くも崩れ去っているというのに、勢いのある20代が育ってきていない。これもITバブル崩壊の余波なのだろうか?
日本人は勤勉であるといわれる。今の世間にも当てはまるのだろうか?私には甚だ疑問である。確かに心の優しい人の多い国だろう。しかし、世界的競争力において過去の栄光に縋りついてばかりいては追ってくるものに容易にその座を譲り渡してしまうだろう。


イルミネーション

  • 2007年12月19日

横浜にはKing, Queen, Jackと呼ばれる場所がある。もちろん絶好の撮影ポイントだが、夜景を撮るならランドマーク周辺はいい場所だ。