チリ大地震

  • 2010年02月28日

国内線を乗り継ぎチリのサンチャゴ経由で帰国しました。
関係者にはご心配をおかけいたしました。取り急ぎ無事の報告をさせていただきます。
数時間前に通った高速道路が崩壊し飛行場も大破しています。
私は偶々被害に遭わずにすみましたが多くの被災者が発生してしまった事に胸が痛みます。
仕事柄途上国に頻繁に出向かなくてはなりません。
地震は避けられるものではありませんが、できうるだけ安全を確保したいものです。
武勇伝など必要ありません。
一歩間違えば自分の生命はおろか大勢の方々に迷惑を掛けてしまうかもしれないからです。
私はお金で安全を確保できるのであればできうるだけそのようにしています。
チリは地震が多いので耐震構造に優れた建物も建設されていたので被害がハイチに比べても少なくて済んだと聞きました。
しかし人の命を数でのみ図る事はできません。
偶々助かったのも何かの意味があるのでしょう。
この意味を考えながら生活していきたいと想います。

お別れ

  • 2010年02月26日

最後の講演会が終了しました。
日本ではSocial Responsibilityという概念が意外にも立遅れておりその必要性を具体的なパワーハラスメント等を例にとり企業倫理についてお話させていただきました。
そして起業家養成塾生の優秀チームにプレゼンテーションを行っていただきました。
講演に来られていた方々からも多数コメントを賜りました。
人生の先輩方から鋭くそして温かい言葉は大変貴重です。
講演会が終わると少し会場に残って欲しいとの依頼を受けました。
何やら私の送別会を開いてくれる様子です。
いきなり大勢の紫色の頭巾を被り囃子と踊りで登場しました。
沖縄での仕事に色々と関わらせていただいているため沖縄の文化であるエイサーにはとても興味があります。
なによりいつの間にやらこんなにも大勢が今日の為に練習してくれている事を想うと涙が溢れてきました。
私は人前で泣く事はありません。しかしどうしようもなく耐えられないことがあった時には涙は流れるままにしておくことにしています。
そうして精神状態を整える事が出来る事を経験上知っているからです。
人生において数回だけしか体験した事はありませんが。
続いて別のグループがhip hopを手話付きで踊ってくれました。
最後はビデオで皆さんからのコメントを流していただきました。
どうやら涙腺が随分と緩んでしまったようです。
私だけでなく観てらした年配者の幾人かも涙を流されていました。
参加者からきつく握手をされ「人生が変わりました」とまで、何人にも言っていただきました。
僅かな期間でしたが睡眠を削り熱中する事で今までなかった絆が芽生えたのだと想います。
私は講師を勤めさせていただきましたが結局は彼らに私が教わったようなものです。
人生において貴重な経験をさせていただきました。
ご参加戴きました方々をはじめ、このような機会を下さり、
ご尽力賜ったPEACE BOAT関係者の方々に心より御礼申し上げたいと想います。
ありがとうございました。





ドレイク海峡にて

  • 2010年02月24日

氷山はみえなくなりました。船を囲むようにいたクジラも居なくなりました。
ドレイク海峡を北上しています。もうすぐホーン岬です。
海の難所と言われている場所ですが天候に恵まれて穏やかな航海を続けています。
そろそろ今回の旅も終盤をむかえています。あと一回講演会が済めば帰国します。
皆さんに無理を言って2週間程長期出張してしまいましたが、望郷の想いが強くなってきました。
南極大陸における地球温暖化問題の情報収集ができました。
新しい仕事のアイデアも沢山浮かんできています。
戻ってやらなくてはならない事も山積しています。
帰路は国内線を乗り継いでチリのサンチャゴに行き、そしてアメリカ経由の長旅になります。
あと数日後には何喰わぬ顔して、日本での生活が再開するのでしょう。
猛烈に忙しい日々が待っています。望む所です。
必死に働いている仲間と共にどっぷりと仕事にも浸かりたいです。
今回沢山の方々に出会いました。
そして老若男女問わず彼らの多くが実直に生きているがこそ、悩み苦しみ不器用に生きていました。彼らに接する事で自分が抱えている悩みとか哀しみが少しだけ癒されてきたような気がします。

一歩前に

  • 2010年02月23日

日本を出発してから講演会を3回、ゼミを5回終了しました。あと講演会を一つ終了すれば帰国の途につきます。
「人生の転機になりました」と目頭を熱くして語る方が数名いました。
毎日3時間しか寝ないで徹底的に話し合う機会はそんなに体験できるものではありません。私も彼らの熱意におされてついつい力が入ってしまいました。
知見を拡げるにはこういった旅が必要なのだと思います。観光地を回るだけでは超えられない一線があるのでしょう。
ちょっとした勇気を持って一歩前へ。
参加者の反応を伺うたびに今回の旅の目的は達成できたのだと思っています。
氷山の合間を縫って一路ドレイク海峡を北上してチリに向かいます。



クジラのいる海

  • 2010年02月22日

アンドボード湾に入りました。
チリの南極観測基地を通り過ぎました。
更に奥地へと向かいます。
ペンギンが並泳しています。
またシャチが顔を出しました。今日何度目でしょうか。
近くでクジラが潮を噴きました。
南極の景色は筆舌し難いほどです。
眠っていた感性が急に刺激され余りの美しさに息をのみました。
北極ではなく南極ならではの、切り立った山々が海からそそり立っています。
ダイナミックな景観です。殆ど海岸はありません。
空の青、雲の白さ、雪山、そして海。
神々しさに何時間でも見つめてしまいます。


Wild At Heart

  • 2010年02月20日

夜に講演会によばれました。
Wild At Heartと題して私の人生談を聴こうという企画でしたが、私には成功談等無いしむしろ失敗ばかりなので、結局反面教師にしかならなかったと思います。
どうした事か昔から自分でもコントロールが出来ない感情があります。
目の前のものを選べば「幸せになる」という選択肢があった時には私にはそれを選ぶ事がどうしても出来ないのです。
幸せよりも孤独で困難な道を選んでしまう性格なのです。
歓びに満ち足りた人生に恐れおののき後ずさりしてしまいます。
何故なんだろうと悩んだ時期もありました。
いや今でもそうなのかもしれないです。
こんな男が皆の前できっと夢は適うんだ、こうすれば幸せになれるんだ等という事はどうしても出来ませんでした。
世のカリスマという方たちは何ら戸惑う事もなく人々を導いていくのでしょう。
私はどうも斜に構え物事の裏側や哀しい部分を見てしまう癖があります。
どこかしらけているのでしょう。
社会起業家とよばれる事が多くなってきました。
そしてその言葉の白々しさを自分が認識した上で敢えて使うこともあります。
それでも進んでいかなくてはならない事が多いのです。
机上の空論や立派な口上など言う人は私には何ら興味の対象にはのぼりません。
実際どのような活動をしてきたのか?
Take action.
世の中には遣らなくてはならない事がこれほど多いのに理想論ばかり言っている人々は結局バーチャルの世界しか生きていないのです。
現実に何を行うのか?そのためにどのような戦略をとって効果的な活動に繋げていくのか?私がお伝えできる事はその程度のことになってしまいました。
ブエノスアイレスから3000km以上南下しました。
あと1000km程で南極です。


地の果て

  • 2010年02月19日

パタゴニアに上陸しました。ウシュアイアという街です。
南極への足がかりに立ち寄りました。
アラスカから南下するルート3の最終地点です。
ルート3を車で南下する旅をいつかはしてみたいものです。
アラスカ、アメリカ合衆国、中米、南米。
壮大な旅になることでしょう。
地の果てという名のワインを飲みました。
小さな街です。夕方からみぞれまじりの雨が降ってきました。

パタゴニア/フォークランド諸島沖

  • 2010年02月18日

毎日講演会には200名程のお客様が来場してくださっています。
そして開校したゼミにも30人を超える方が参加されています。
参加者も真剣だからついついこちらも正面からぶつかっていくことになります。
昨年の夏に参加した時も平均睡眠時間は4時間台でした。それで構いません。
覚悟の上です。手塚治虫さんや筑紫哲也さんといった方々も務められた水先案内人です。光栄な役をきちんと全うして次の方にバトンタッチしたいと思います。
現在最南端のウシュアイアに向かって航行しています。
遠くにフォークランド諸島が見えます。
パタゴニア地域です。
明日には上陸できる予定です。
その後一路南下して南極大陸に向かいます。難所が待ち受けており大変な揺れが予測されています。日によっては風速40mという猛烈な中の航海です。
各国の基地を抜けて奥地へと進んでいきます。私は南極大陸には初めて訪れますがとても美しい所だと聞きます。
基地があるのでネットが通じると聞きました。
現地の映像を出来るだけ掲載したいと思います。

ウルグアイに日が暮れて

  • 2010年02月16日

僅か350万人程の人口の国です。
横浜市と同じぐらいの規模ですね。
日本では余り知られていない国ですがタンゴ発祥の国と言われています。アルゼンチンも同じ事を言っていますが。モンテビデオという街に来ています。港から20分程車で行った牧場に来ました。田舎は良いですね。カウボーイを見ることができるのはアメリカ大陸だと南米の一部の地域になってしまうのでしょう。牧畜業が主要産業でありとても穏やかな静かな地方都市の趣があります。
スペインとポルトガルの植民地時代を経ているのでその時代の面影を旧市街地は残しています。


ブエノスアイレスを後にして

  • 2010年02月15日

懐かしいスタッフの方々にお会いすることができました。そして以前カナダ・アラスカ航路で御乗船されていたお客様とも多く再会できました。地球の裏側での邂逅はなんだか感傷的な気分になります。およそ3ヶ月かけて地球を一周しているクルーズです。既にリタイアされて時間に余裕がある方も、人生の岐路に立ち何かを掴みたくて乗船された方も一ツ屋根の下での生活です。そして様々な文化に触れる旅です。若いスタッフの方々が睡眠時間を削りながら働いている姿にはいつも感心させられます。彼らに何か貢献出来る事をしてあげたいものです。PEACE BOATはとてもリピーターが多いのが特徴です。満足度が高いからこそ再び船に乗るのでしょう。勿論あわなかった人もいるでしょう。しかし毎回数十パーセントはリピーターの方々です。それが雄弁に証明しているのでしょう。私はプロですから時差ぼけや睡眠不足、体調不良等は一切口に出す事は出来ません。そんなの自分で調整するのが当たり前です。
そろそろ出航です。河口を下りウルグアイに向けて出航です。