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ミハイル・ゴルバチョフ逝去に寄せて - 中西代表|環境への取り組み

ミハイル・ゴルバチョフ逝去に寄せて

  • 2022年09月06日

偉大な政治家ミハイル・ゴルバチョフ氏が逝去した。

私の人生に多大なる影響を与えた方だ。

ペレストロイカの荒波で、経済的にも人種的にも大きな混乱を招いたことは事実であり、ロシア国内での評価が分かれていると聞く。

しかし、冷戦を終結させて、東西融和を実現させた功績はとてつもなく大きい。

晩年は大変寂しい生活をおくっていたと報道で知った。

私は学生時代海外を色々と放浪していた。

東ドイツやモスクワにも寄ったことがある。

ベルリンの壁が無くなったことに大きな感動を覚えた。

居てもたってもいられなくなって、働くならば世界を舞台にしたいと強く願った。

バブルの末期で熱に浮かれていた日本において、瀕死の状態のアメリカの銀行に就職したのも、好奇心が上回ったからだ。

入社してすぐに、ケイマン諸島やジャージー諸島の特別目的会社の社長を何社か務めさせられた。

今で言うといいのか悪いのかとは思うが。

90年代初頭に、人工衛星を飛ばして、社内メールが構築されていた。

世界中の人と連絡が取れていた。

日本との格差に驚いた。なんでも証券化してしまうし、スピードが実に早かった。

金融はどの業界にも首を突っ込める。

自分が開発した商品が、日本で初めての商品になる。

アイデアが即実行され、実現された。

若くして仕事の魅力に取り憑かれた。

土日なんてあるわけない。1年間、正月も含めて1日も休んだことがない。

そんな業界で20年近く働いてしまった。

ゴルバチョフが幽閉されたとのニュースを観た。

91年のソ連8月クーデターだ。

麻布のナショナルマーケットで買い物をしていると、店舗に備え付けられたテレビでBBCが速報で流していた。

今でもはっきりと覚えている。

何かしなくてはと、焦ってはいたが、日々の業務に忙殺されて、足元しか見ていなかった。

いや足元すら見えていなかったのだろう。

ゴルバチョフが描いた世界に、今はなっているのだろうか?

ロシアはソ連化を目指し、戦争を始めた。

人権など踏み躙られている。

世界的に物価は高騰し、貧富の格差は広がるばかりだ。

徒手空拳の如く、成果が出ないまま、時間だけが流れ去っている。

顔を上げて進みたいが、世界を変えていくと言うことは、並大抵のことではない。

ゴルバチョフの偉業に改めて敬服する。

RIP