剥奪と開発
- 2017年11月03日
剥奪という言葉は嫌いである。
経済学で有名な「相対的剥奪」は英語でも「relative deprivation」(マートン)
人が抱く不満は、その人の置かれる境遇の絶対的な劣悪さによるのではなく、主観的な期待水準と現実的な達成水準との格差による、という考え方である。
しかし、SDGsを考えていくときに、剥奪としての貧困は必ず検討しなくてはならない箇所である。
人間開発指数(HDI: Human Development Index)を用いるのか、
多次元貧困指数(Multidimensional Poverty Index)を用いるのかなどの技術的な点はさておき、
何かを略奪した覚えはないというのが一般的な感情ではなかろうか?
もっと適切な言葉がないだろうか?焦燥とか蹉跌とか。
ちょっと違うか。
しかし、relative deprivationの意味していることは、何かを略奪したとかされたとかいうものではない。だから、単語と意味が合致しないから誤解を生みやすいのだと思う。
そもそも大した論でもないと思う。
いずれにせよこれからは「開発」がキーワードになりそうだ。
ESDを軸として教育制度の改革が必要だと感じている。