迷路のまち
- 2012年03月25日
小豆島の繁華街の外れに迷路のまちという名の一角があります。
迷路のようにわざと狭く入り組んで作られた街です。
敵の侵入を防ぐようにとの目的だったようです。
独特の風情を感じさせます。
アート展等が開催されています。
小豆島の繁華街の外れに迷路のまちという名の一角があります。
迷路のようにわざと狭く入り組んで作られた街です。
敵の侵入を防ぐようにとの目的だったようです。
独特の風情を感じさせます。
アート展等が開催されています。
段々になった芝生の上に茣蓙を敷いて観る農村歌舞伎。その舞台です。
年に二回程度しか催されない舞台です。
千枚田。小豆島では7月に虫追いが行なわれます。
3月の今は休耕期なので寒々としていますが、きっととても美しいのでしょう。
干潮の時にのみ歩いて渡れる小豆島のエンジェルロード。
この道を手をつないで渡ったカップルは永遠に幸せになるという。
お札が500円で売っていました。
楽しそうに歩くカップルの横を、スーツ姿で革靴履いて渡っていきます。
スーツ姿でスキー場に行った以来のアウェイ感を感じました。
岡山駅から新岡山港へ。
そこからフェリーで小豆島に向かいます。
最近では八日目の蝉で有名になりました。二十四の瞳の撮影も行われました。
昔は文字通り小豆が名産でしたが今は価格が安定していて気候にも合うオリーブがみかんに変わってどんどん増えて来ています。最初に植えられたのは明治時代だそうです。
手延べ素麺も有名です。
仕事で離島を訪れる事が多いですね。
島ならではの独自の文化。
大切にしていきたいですね。
音楽は気持ちを鎮め癒してくれます。
家で朝起きてすぐに、出張の移動中にも聞いています。
最近はバッハを聞いています。
代官山に新しくできた蔦屋書店に立ち寄りました。
品揃えが多く本好きの気持ちを理解している作りになっています。
そこでバッハの人生について書かれた本を購入しました。
これ程美しい旋律を作り出すバッハはどんな人物だったのか本を読んでみました。
バッハは当時認められず、激昂しやすい性格から職を転々として不運な人生を送りました。
未亡人は遺産すら税務署にいちゃもんつけられ少額しか受け取れず極貧の中で亡くなりました。
バッハは君主に仕えたり学校の先生をしながら生計を立てていましたが、当時は難解であり、過剰な演出であると疎まれました。
また晩年は、かつての弟子から時代遅れであるとも揶揄されました。偽医者に掛かりドイツが産んだ偉大な音楽家は失明してしまい失意のままなくなりました。
バッハの素晴らしさは19世紀まで埋れたままで忘れられていました。
本物は流行り廃りではなく残るものである。
稀有な逸材はその価値を歴史が証明するしかないときもあるのでしょう。
自分の評価は自分でしない。
世の中も変わります。
時間が経たなければ分からないこともあるのでしょう。
風の吹いた翌日は海に足を浸けます。
海藻が足に絡まります。
その中からワカメを選びます。
岸に打上ったのよりも、まだ海にあるワカメを採るのが好きです。
大きなメカブがついていました。
細かく刻んで粘り気を出して、鰹節に醤油。
ワカメはこの時期ならではのしゃぶしゃぶに。
お湯にさっとくぐらすと、綺麗な薄緑色に変化します。
ポン酢をつけてご飯にのせていただきます。
晩冬から初春にかけての湘南の楽しみ。
沖を見るとサーフィンに熱中しているスタッフがいます。
勤務時間中ですが、波のある日は交代で海に入ります。
時間を自分たちでやりくりする。
ストレスを溜めない。
だからこそ、猛烈に働く事もできる。
いいアイデアも涌いてくる。
そんな職場になれば良いなと思っていました。
仲間を信頼できる事の喜び。働く事の意味。
職場環境。
私は自分の仕事が好きです。
5年間休む事なく素晴らしい仲間達と走り通してきましたが、やって来た事は決して零ではなかったなと思います。
まずは自分も楽しまなくてはならないですね。
アウトリガーカヌーを漕いできます。
長野県飯田市に来ました。
名古屋から二時間半程バスに揺られました。
アルプスの美しい景色。
リンゴ並木。
少し早く着いたので散策しました。
この町は何故か惹かれるものがあります。
おひさまファンドの方々と色々なお話をさせていただきました。
狭い世界ですので知り合いばかりが繋がります。
いい出会いがありました。
感謝です。
寒い地域には何故かバイオリンとかチェロが似合うと思います。
ラフマニノフのヴォカリーズを繰り返し聴いています。
やはりロシアだからですかね。
ブラジル風バッハ アリアも美しい声色と似合います。
寒い地方には物悲しい優しい曲が合いますね。
来週は瀬戸内海の島を訪れます。
少しばかり旅を続けます。