バッハのチェンバロかチェロの曲を聴きながら、太陽礼拝のポーズ。縮こまった身体を伸ばします。
その後に、腕立て伏せ、腹筋、背筋を各50回。
最近の日課です。最低限の身体を維持しておかないといざという時に動けません。
東日本大震災の時はボクシングで怪我をしていて2日前まで松葉杖でした。
そのため、翌日に現地入りする時に若干の不安を残していた事を悔いています。
それ以来動けなくなるような激しい運動はできるだけ避けて、体調を管理するようにしています。
まあ難しい事はさておいて朝の清々しい空気を一杯に吸うのは気持ちいいものですね。
昨晩の渋谷駅周辺。
遠くに見えるのは何でしょうか?
骨が折れた傘です。
夜中に仕事のアイデアをいくつか思いつき、いてもたってもいられず早朝のオフィスに向かいます。
誰もいない静まり返ったオフィスで提案書をいくつか作成します。
起業した時と同じ自分がいます。
4月。
嵐の後の晴天です。桜は三分咲き。
始まりの月です。
何故か運良くすんなりと旨く進んでいく事があります。
努力もしないでできてしまう事があります。
一つ分かっているのは、運だけでは長続きしないという事です。
全く逆に自分がどんなに頑張ってもうまくいかないことがあります。
どんなに想いを込めても伝わらない事があります。
自分一人で生きている訳ではないからですね。
そんな当たり前の事に傷つき落ち込み悩んでしまいます。
思い通りにいかない時に、辞めるのも進むのも自らが決めたいものです。
自分が生きてきた道。
たとえそれが不格好で不様であったとしても、それが己の影なのでしょう。
自分の影を嘆いてどうする。
不様な自分が嫌ならば、変えられない理由はただ一つ。
自分が変えるために努力をしなかったからです。
言い訳して自分を偽るぐらいならば、変える為の努力をしなかった自分を嘆く方がまだ希望があるのでしょう。
年を重ねるごとに言い訳が巧みになり、自分すらも偽って生きてしまっている人が多いのでしょう。
幸せは人よりも生活レベルや、役職や、世間体が、自分が上とか下とかいう物差しで計るものでは決してない。
好きな人生を歩む事こそ、全力で相手や仕事と真摯に向き合うべき事であり、ふらふらとよそ見しながら生きるべきではありません。
こんな人生として当たり前の事を教えないでいいのでしょうか?
心機一転
顔を上げて、己が信じる道を自分で選択して進み続けるしかないのだと思います。
新しい年度はもっと前を向いて生きたいですね。