マスターキートン
20年ぶりに新作が出たらしい
実は自分が密かにマスターキートンと呼んでいる方がいる
風貌からしてそっくりである
イギリス育ちではなくペルー育ちであるが
私よりも勉強熱心で そして思慮深い
繊細であり 大胆である
またこの地で一緒に仕事ができることになった
色々と学ばせていただくつもりだ
私の仕事はというか、個人の興味かも知れないが
人と深い交わりが生まれることが好きだ
何日も現場で飯を食い酒を飲めば人となりはわかってしまうものだ
それは苦痛の時もあれば喜ばしい時もあるだろう
私には興味は尽きない この仕事の醍醐味の一つでもある
貝類が好きだ
一番の好みはトリガイである
寿司ネタにいい
ペルーではひより貝や ネグロが美味しい
ピスコサワーよりはピスコのオンザロックの方が好みだ
セビーチェは新鮮なものに限る
生の蟹のセビーチェを食べさせる店は殆どない
巡り会えたのならばその旨さに驚く
これからどれぐらいの年月を生きなければならないのか
その途方のない時間に嫌気がさしてしまったことがある
何かに絶望し 退屈な人生など早く終わって仕舞えばよいのにと考えた時期があった
今は限られた時間をすこしでも無駄にしたくないし
余りの時間の少なさに 驚愕し 自分のやれることの少なさに半ば呆れている
自分の人生などガラッと変わるものだとおもう
好きなことをして生きていくことは大変だが幸せなのだろう
大して金にはならない
しかし幸せと感じるのは金の大小ではない
そんな当たり前のことを理解するのに時間がかかったし、
スパイラルから抜け出る勇気も、抜け出た後に何をするかも分からなかった
先の見えない仕事を自分で始めたのはそんな時期だったし
そんな自分だから 偉そうに人に起業を薦めたり
人生を諭すことなどできない
しかし振り返ってみると転機というのは
絶望から生まれてきたということはわかる
退屈な人生からどうやって 自分らしく生きる人生にするかは
何のことはない 自分の内面を見つめるしかなかった
捨てていくしかなかった
仕事というのは一旦始めると抜けだすのは容易ではない
そんな大切な選択を 何も世の中を知らない学生にどうしてできようか?
真面目であればこそ、一つの仕事を投げ出さないで続けようと思うものだ
それが自分にあっていなかったり、自分の人生に役に立たないものであったとしてもだ
そこに費やす途方も無い時間は本当に正しいのだろうか?
自分にとっては少なくとも得たものはあったがベストではなかった。
もっと最初の就職をする時に、社会を少しでも知ってから選べば違う人生になっていたのだと思う。
創業以来インターン制度を実施している。
もう50人ほどの若者がインターンを終えた。
とてつもなく優秀な若者もいれば、ちゃらんぽらんな奴もいた。
そんな奴こそ可愛かった。
インターン生として会社の扉を開けた日から
会社の扉から出て行くまでの間に
大きく変化する若者をみてきた。
それでも高々半年程度のインターンで知れる社会などたかが知れているのだろう
気に入ってくれて2年も居着いてくれた学生もいたが。
それでも余程ないよりはましだと思う。
回り道してきたからこそ言いたいのだが
インターン制度は学生時代に参加しておいたほうが良いとおもう。
自分のためになるとおもう。
当社が預かれるインターン生の数には限界があるし倍率も高い
別に当社でなくてもよいのだとおもう。
是非機会を見つけて参加して見て欲しい。
リマからパリに向かう機上より
#SBT,#CDP,#スコープ3測定はみなと経営研究所
ペルーでの仕事を終えた
苦しくも楽しい仕事だった
遠いといえば無茶苦茶遠い
西回りでくると地球を3分の2も往復することになる
不思議なことだが、そこには綺麗な日本語を話す多くの人々がいて
真面目な国民がいる
どちらの方が仕事をやりやすいのかというと ハタと考えてしまう。
ボリビア、ブラジル、メキシコからも仕事の話しをいただいている
小さな会社だし手を広げすぎることはできない
それでも可能な事はできるだけやってみたい
出張中に日本でもアフリカでもアジアでも進展があった
帰国後休む暇など無いであろう
それでいいし それがいい
2キロほど体重が減ったようだ
分母から考えると僅かだが、それでも体調が良い
今年の課題である健康について少しは前進できたようだ
といっても、早くも文字通りぶっ倒れてしまったのは1週間前だが。
体力がないと気力が湧かない。
好奇心が乏しくなる。
仕事の効率が著しく落ちる。
だからこそ健康管理が大切なのだと思う。
書きたいことは沢山あれど
あまりに政治的なことや時事については触れることは避けています
かと言って、左でも右でもありません
ちょうどパリの厳戒態勢を見たのでちょっとだけ書いてみます
イスラム国 フランスなどでのテロをみると
言論の自由と宗教の自由という難題が存在します。
is free speech always justified?
言論の自由は民主主義のたいせつな要件ですが、相手を不快にしたり傷つけてもよいならば、ヘイトスピーチも全て認めるしかないでしょう。
悪口も言論の自由の範囲内のはずです。だから週刊誌には罵詈雑言と足の引っ張り合いの記事しか載っていない。
メディアは言います。実際に名誉毀損などがあった場合には救済する法は整っていると。
そこに、大きな奢りがあるようにしか見れません。
傷つけられた被害者が何故膨大な時間とお金を掛けて勝てるかわからない裁判を起こすことができるのでしょうか?
それを見越していってくるやつには裁判で争えば良い。どうせ負けても大した金額にはならないし、そもそも訴えてくるやつなど皆無である、というメディアの姿勢が強すぎます。
1月も後半戦です。
今年は早々に大きな案件が纏まり少し戦略に余裕を持って臨めそうです
少しばかりの余裕がなければかえってうまく進まないことは多いですからね
上手に勝ちパターンのスパイラルに入れれば良いのですが
勝ちグセをつけて 自分のフィールドを深掘りする
そしてそれを少しずつ広げていく
慎重に 大胆に
無駄なことを削ぎ落としていく作業
必要なものを得るための弛まぬ努力
真剣に仕事をしなければ見えない高みというのはあるのだと思います