知識と経験の両方を同時に得ることは難しい。
20年近く投資銀行で働いた
貴重な経験であった
外資系金融の黎明期から、リーマンショックの前までである。
しかし、辞めた。
投資銀行とういうのは専門職、職人の世界である。
その中で最先端の分野で働かせてもらった。
これほど長く勤務するともう新しい知識も経験も得られなくなってしまい、興味が湧かなくなってしまったのだ。
今にして思うと、もっと早く起業していればよかった。
ついつい楽な世界に長くいてしまった。
起業するならば社会貢献を生業にしたいとは考えていたが、
イメージしているような事業を行っている会社はなく、自分で起業することにしたというのが、実際のところである。
全く違う分野だから、猛烈に勉強した。
大学院の時に、たくさんの書物を読むことに慣れた事が役にたった。
私にとって大学院は特段キャリアに結びつくものではなかったし、得られる知識も
実務で得られる知識に比べれば僅かにすぎなかった。
仲良しクラブに入るつもりもなかった。
だけど、振り返れば知識を吸収する方法について学んだのだとおもう。
それは役に立った。
知識は努力でスピードを上げて得られる。
経験は場数なのだろう。これは致し方ない。
しかし、社会常識や金融からのものの見方というのは、前職が役にたった。
これは、どんな場面にでくわしても、最低限乗り越えられる土壌になっていると感じている。
まるっきり無駄ではなかったのだ。
環境貢献や人道支援を事業として行う。
これは実に厳しいビジネスモデルだ。
我ながらよくもこんなビジネスモデルを選んだモノだと思う。
前例となるモノがなければ手探りで進めるしかなかった。
後から真似して始めるなど簡単だから多くをパクられた。
しかしそんな輩は自分が本物でない事は自分が一番わかっているのだろう。
社会貢献と言いつつ実は我が身への埋められないモノを埋めていくような活動であった。
表現しづらいのであるが、人のためと言いつつもどこか自分のためだったりする。
それは金銭的なモノではなく、満たされ無い何かだったように思う。
ある種の狂気が入り混じった状態で、
葛藤しながら進んできたと思う。
世の中には、絶対的な正義というモノはないし、多面的に見れば見るほど、何かを選択してこなくてはならなかった。
それは選ぶという事であるが、捨てるということでもある。
改善するためには何かを捨てなければなら無い。
全部が丸く収まるような最大公約数を選んで得られるモノは、自己満足だけだからだ。
そして、それを「よくやりました」と公言するような薄っぺらな生き方に対する反発心をもてば持つほど、
表に出る活動はしなくなってしまう。
本物でいたいし、支援活動というのはそんなものだろう。
そんな仕事の進め方でよいと思っている。
学生が仲間と何となく起業していることをよく見かける
プチ起業とかいって主婦が空いた時間で起業しているらしい
いずれもアリだとおもう。
自由な時代である。
好きなことができるのであれやればよい。
人がとやかく言うことではない。
評論家気取りで上からものをいう資格が誰にあろうか?
頭でっかちというよりも、誰かが言った言葉のコピペで
モノを言うべきではない
聞きたい人がいるならば自分の経験を語ればよい
それまでは黙っていればよい
筆が進むという日がある。
筆は使わないでキーボードだから、指が進むと言ったほうがよいかもしれないが。
そんな日は、レポート作成が捗るし、ブログも更新できる。
その反対に全く書けない日もある。その差はなんなのかこれと言った決め手は無いのであるが、書くということは、腰を据えて外部と遮断してのめりこまないとやりづらいのである。
週末や籠って働く時はやはり快調である。
社長をやっていると、電話も多いし、何かと承認したりする事務作業で中断されるのである。
では社長業だけやって、若い人たちに現場を任せればよいということも、
性格的にもできないのである。
これまた我ながら面倒な性格である。
現場主義を通すならば規模を捨てなくてはならないこともある。
経営というのは、一通りしかないわけでもないし、性格にもよるところが多いと感じている。
もう今年も半分が過ぎてしまった。
当たり前だが自分の一つ年を重ねた。
一体何を残すことができたのだろうか?
もっと規模を大きくして違うことをやった方が良かったのではないか?
一抹の不安がよぎる。
これ以上はできないよというぐらい働いても
金銭的にの社会的にも成功している人は周りにも沢山いる。
唯我独尊のような仕事を立ち上げて、突き進んできたが
初めてのことなのでベストなやり方だったのかは分からない。
それでも仕事の筋を通し、一貫性を保って今までやってきた。
その間に多くの事業がパクられたし、
流行りものに飛びついた企業はいつの間にか多くが消えていった。
8年間
もうすぐ9年目である
僅かな月日とはもはやいうことはできまい。
苦労を苦労とも思わず
振り乱しながらも進んできた
いや回り道ばかりしてきたのだろう
兎角人生は難しい
しかし少しは社会に貢献してきたという自負はある。
貴重な経験が積み重なってきた。
多くの方々に支えられてきた。
どのように恩返しをしていけばよいのかも分からない。
誠実にできることを積み重ねてお返しするしか無いのだろう。
旅の途中で次の旅の計画を立てている
昼飯を食べながら夕飯の話をするようなものである
仕事だから致し方ない
帰国後飛行場に泊まって次のアジアの国を訪問する予定が急遽変更になった。
もともとの予定では成田や羽田に一泊して次の国へと移動することことの繰り返しをしなくてはならない状態であった。
我ながらスケジュールがパンパンな状態であった。
1年でも出張がピークの時期である。
この変更は、時間を有効に使える貴重な機会と考えたい。
日本のお盆休みのシーズンや正月休みは、海外で仕事をしている方が時間を効率的につかえる。というか、自分は全く休めないのではあるが。
キリスト教の国であればクリスマスシーズンは、イスラムの国で仕事をすればよい。
そんなやり繰りをしながら、大まかなスケジュールを組み立てていく。
現場主義を貫いてきたからこうなったのだが、まあ年齢的にもあと10年程度が区切りであろう。自分でも次のステージを意識している。
海外専用で持っている携帯だが実はあまり活躍していない。
ネットはルーターを持ち歩いているので街中にいる時には多くの国で使用できる。
電話も SkypeやLINEでできてしまう時代である。
電話番号も日本の携帯をそのまま使える。
海外専用で使っているのはいわゆるSIMフリーである。
沢山の国を訪問する仕事なので、その国ごとにSIMを買って番号を変えなくてはならない。そしてチャージをしなくてはならない。
顧客との移動が多い中で、ちょっと待ってください、SIMを買ってきますから、なんて時間を作るのも正直言って面倒なのである。
要するにSIMフリー携帯は面倒臭いし、費用的にもそれほどメリットを感じられないのである。使う場面は、ネットが繋がりにくいような国と地域でどうしても携帯じゃないと連絡が取れない時である。
というわけで、ペルーにおいては全く使わない。