電凸攻撃
- 2019年09月30日
電凸という造語がニュースで平気で使われることに不信感を抱く。
『電凸とは、電話で問い合わせその経過を公表すること(電話での突撃リポート)である』そうだ。
公表するのはSNSなどだ。
では電凸攻撃とは何か?
電話での問い合わせ内容をSNSで公表することが攻撃なのか?
論理矛盾である。
『電話をかけるなどして、組織としての見解を問いただす行為』は、なんら違法性はないではないか。
大手新聞社、メディアですら電凸という造語を喜んで使っている。
乱用している。
電凸とは単に「電話による脅迫」という意味で使っているのだ。
それは正しいのだろうか?
流行語に安易に流れるようなネットニュースではなく、新聞は新聞らしく振舞って欲しいものだ。
表現の不自由展が再開されるという。
天皇肖像を燃やす作品も展示されるという。
間抜けな日本人の墓もだろう。
これらはヘイトであると感じている。
これらを芸術と呼ぶとは私は思わない。
公金でこのイベントを行うべきかは疑問である。
私は再開されることを不快だと感じる。
しかし不快にされたからと言って、表現したい人の自由や見たい人の自由を奪うつもりはないし、奪うべきでもないと考える。
しかし、自分は不快な思いをさせられたということは言いたい。
そしてそれを作ったアーティストや開催を許した人々についてもリスペクトしない。
彼らは多くの人を不快にする権利はあると考えているのだろうか?
そのことを考えたことはあるのだろうか?