優秀賞を受賞させていただきました。
詳細はこちらです。
http://www.carbonoffset-network.jp/award1st/entry_data.html?id=15
明日開催されるカーボンマーケットEXPO2012
http://www.env.go.jp/press/file_view.php?serial=19334&hou_id=14883
で表彰されます。
当社も出展、講演と全面的に応援させていただいております。
是非足をお運びください。
ちょっとだけ裏話を。
2011年3月10日 雪の青森にいました。
ねぶた祭をカーボンオフセットしていただく為の打ち合わせの為です。
早朝から震度4程度の余震が続いており、随分と嫌な気がしていました。
古いホテルは朝から揺れていました。
その日の写真です。
翌日の震災で青森も大きな被害を受けました。
夏のねぶた祭。
桟敷席でみさせていただきました。
苦難を乗り越えて復興の為に祭を行う。
自粛ムードが漂っていましたが、被災地は自粛よりも復興支援するならば地元にお金を落として欲しいというのが大半の意見だったようです。
今年も東北のお祭りを応援したいです。
NHKスペシャル あの日を忘れないを観ました。
あれから1年ですね。
3月14日午前11時1分。
水素爆発が発生しました。
人命救助の為に現地入りしていたのですが、運悪く近くにいた為、その爆雲を見てしまいました。
翌日放射線チェックの施設に入り、着ていたものや持ち物を含めてみてもらいました。
幸いな事に被爆はしていませんでしたが、死をもっとも間近に感じた日々でした。
あれから1年。風化させない為にもイベントを急遽開催する事にいたしました。
写真家の方々の想いを届ける場を少しばかりご提供させていただく手伝いです。
明日告知させていただきますね。
旨い珈琲豆を探しに散策に。
縁の深いインドネシアの豆を焙煎してもらいました。
どうも映画監督だった祖父の墓がインドネシアにあったり、WFPとご一緒させていただいたりしているのでインドネシアと聴くと贔屓にしてしまいます。
面白いものを目撃しました。
逆さまのUFOです。
思わず写真を撮りました。
クロックスの新作です。
ソールが改良されてグリップが効くようになっています。
これは滑りにくいですからアウトドアで使えるようになりました。
ちょっと遅れましたが和菓子屋に立ち寄りました。
桜餅をいただきました。
合わせはロゼのカヴァ。微妙に相性は悪くなかったです。
久しぶりに日曜日をゆっくり過しました。
明日から東京は雨のようです。
縮こまった身体を伸ばし、新鮮な空気を吸う為にヨガの太陽礼拝のポーズを3回だけ行ないます。
そのあと腕立て伏せ、腹筋、背筋 各50回。
掛かる時間は10分。
たったそれだけの時間のエクササイズ。
頭をクリアにして、身体の調子を整える。
心と身体のバランス。
斬新なアイデアと行動力。
運動が好きなので私の場合は夜に時間があればボクシング。
日中に時間があればアウトドアフィットネス。
僅かな時間を効率よく活用することで仕事も変わってくるのだと考えています。
本当は食事のバランスももっと考えなくてはならないのですが。。。。
クレディスイス出身者のOG,OBが集まったReunionが催されました。
およそ300名が参加しました。
凄い数ですね。彼らとチームを組み、その10倍以上規模のライバル相手に戦っていました。
アイデアとスピード。そして結束力。とても大切だと学びました。
2001年.CSFPの検査妨害等の不祥事で告発されたあとで、当時のクレディスイスは壊滅状態でした。
それまで大手投資銀行で働いていましたが、会社の看板としっかりした体制があればできて「当たり前」で、「勤め人としての遣り甲斐」を感じられずにいました。
そんな時に縁あってクレディスイス復興のために呼ばれました。
猛烈な逆風の中、私のように復興に掛けた人たちが集結し猛烈に働きました。
口角泡飛ばし議論し、走り回り信頼回復と組織改善に奔走した日々。
同僚達とは信頼関係で結ばれ朝から晩まで一緒でした。
邂逅した仲間達からは、あの時代に私が手掛けた様々な案件で、夜中まで働いた事等を懐かしそうに話しているのを聞きました。振り返る事をしなかったのですが、自分なりに精一杯やっていたんだなと感じました。
自分が生きてきた道。それが無様であっても、それも己の影。自分が決めたから今の自分がある。
己の影は嘆いてもしょうがありません。できない理由は自分が変える為の努力をしなかっただけなのでしょう。
苦労してきましたがその時の経験は貴重でした。
今思えば勤め人としては充実した日々でした。
自ら起業したのは社会に必要な事を、零から自分で始めてみたかったからです。
看板を捨てというか看板などない、金融時代の人脈を全く頼らない、知見もない、知り合いが誰一人いない横浜という町で机ひとつから始める。
あるのはそれに掛ける情熱のみ。
そこから下はない。産み出すのも選択するのも自分。
起業した当初は電話が全く鳴らない日々が続きました。
猛烈に勉強し、アイデアを産み出しても空回りする数ヶ月。
それでも突き進んで初めて見える世界がある事だけを信じて続けてきました。
いつの間にやら多くの仲間ができ、多くのお客様に支えられて独り立ちできるような企業に成長させていただきました。
たまには昔の仲間と会うのは楽しいものですね。
みんなそれぞれの道で充実した人生を過して貰いたいものです。