crowd funding
- 2014年07月06日
赤潮が発生したせいで
透明度が低く
この時期なのにクラゲが多い
それでも沖に出ると潮風が気持ちがよい。
この施設を7年前に作ってから、
どれだけ多くの人々の健康増進に寄与し、
笑顔を産み出してきたのだろうか?
そしてここでなければ働きたくないスタッフを数多く雇用する事ができた。
勿論私の力など微力であったが、成果が出た事は疑いの余地はない。
日本各地にその遺伝子を継いだ関連店舗がどんどんと拡がっている。
この事業を初めてよかったとつくづく思う。
いい仲間に出会えた。感謝である。
今まで数多くのプロジェクトを作ってきた。
それを知って私のようなものの下に集まってくれる、若い方々も多い。
彼らには、プロジェクトの組み立て方を少しでも習得してもらいたいと思っている。
社会起業家とか、人道支援とか、環境貢献とか、呼び名はどうでもいいが、
結局は、どれだけ多くの裨益を産んだかどうかが全てであると考える。
だから誰かの作ったものを伝えるだけで何も産み出さない媒体であるべきではないし、
事業の主体として行動すべきなのだとの考えは貫いてきた。
泥臭くて、人間の感情がむき出しで、汚くて、そんな世界で働いてきたから、
上辺だけを賛美するような空論をみるにつけ、現実との乖離に驚かされる。
世の中はもっと深く、裏がある。
環境の分野に多い自称オピニオンリーダーが、まともなプロジェクトを実施した事をみた事がない。
存在しない敵をでっち上げて戦っている自分に陶酔しているような輩には、
自分でやってみなされ。
成功したら認めてあげるから、と言わせていただこう。
随分と本物と出会ってきた。
彼らは謙虚であり時に大胆であり、そして人前に出たがらない人が多い。
私もそうなりたい。
クラウドファンディングで最近多く見かける、「何故ファイナンスが必要なのか」の理由が不明瞭で、
「自分が努力して働くなりして稼ぐ」という、
当たり前の事もしないで、人からお金を恵んでもらうことを最初に考える人には違和感を覚える。
クラウドファンディングは悪くない。
新しい仕組みとしてよいと思う。
しかし、他の方法を努力して実施しているとはとても思えないような、こまったちゃんや、
出資法に抵触するかどうかの際どい内容は何らかの制限を設けた方がよいと思う。
私はこういった方々に賛同できない。
夢を実現するのに、最初に自分の手と足を遣うこともしないで強い意志を
持っていると信頼できるだろうか、
と言う素朴な疑問が産まれてしまう。
成人になったならば経済的な自立無くして精神的自立はなし得ない。
そんな大人になるという意味を今では誰も教えてあげないのだろうか?
同様に、誰かを支援するような活動自体の名目は素晴らしい団体が、実は経済的に自立していないで、
幾つもの助成金を受けて成り立っている事を良く見かける。
経済的な自立無くして人の支援を行なう事は疑問である。
手厳しいだろうか?
正論に眉をひそめるのは構わないが、
夢を実現したり、プロジェクトを実施する事はもっと遥かに厳しいはずだが。