新聞掲載 環境ビジネスの海外展開

  • 2018年08月31日

環境ビジネスの海外展開 〜現状と今後の可能性〜

成長著しいアジア諸国等で日本の技術を生かすために

 

座談会の様子が記事になりました。

環境新聞をご覧ください!

 

 

golden balls

  • 2018年08月30日

富山・石川への出張でした。

金沢で金の玉を買いました。

ゴルフボールです。

打つときには「アウチッ」と叫びながら打つそうです。

OBになったときにも絶叫しなくてはならないそうです。

今度使ってみます。

 

ちなみにiPhoneケースも買いました。

勿論金です!

北陸新幹線のネット環境

  • 2018年08月29日

北陸新幹線で出張です。

この新幹線のお陰で北陸が随分と近くなりましたね。

それにしてもネット環境は良くないですね。

トンネルだらけの路線なのに、トンネルに入るために圏外になってしまいます。

現在は飛行機でさえ無料wifiを備えている時代ですから、それぐらいはJRの交渉して利便性を高めてほしいものです。

仕事になりません!

セブへ

  • 2018年08月26日

セブのプロジェクトを始めてもう七年になります。

一大リゾートでもありますが、開発課題が山積しています。

貧富の差も激しい地です。

治安は比較的安全な方だと思っていたのですが、痛ましい事件がありました。

先ほど通った街角で、昨日日本人女性経営者が銃殺されました。

途上国での仕事ですので、どの地でも危険と背中合わせだということを再認識しました。

 

1982年の夏 -3

  • 2018年08月24日

精霊流しはよく知らなかった。

そもそも急に決めた旅だったから精霊流しがいつ催しされるのかすら知らない状態だった。

ユースホステルの人たちに誘われて街に出た。

 

空が赤く染まるほどの爆竹。

耳を劈く。

大きな精霊船。

まるで祭りのようだった。しかし祭りではない。

お盆に開かれるし、名前から仏教の儀式ということは理解できた。

原爆の悲惨さを初めて感じた日だった。

 

長崎は坂が多い。

路面電車が走る港町。

 

人生で一度しか精霊流しには参加していない。

貴重な体験だった。

父がどのような想いでわたしに一人旅をさせたのかはわからない。

夏休みを一緒に遊べないことへの贖罪だったのか?

それとも経験を積ませたかったのか?

鬼門に入った今となっては聞くすべはない。

 

父と同じように起業して、苦労して、お客様とスタッフに支えられて生きてきた。

仕事ではねぶた祭り、七夕祭り、山笠祭り、エイサー祭りなど、各地のお祭りに関わらせてもらった。

どれも素晴らしかった。

生前にそれらに連れて行くことができなかったのは心残りだ。

 

1982年の夏 - 2

  • 2018年08月20日

長崎ではユースホステルに宿泊した。

今ではそのユースホステルは見当たらない。

丘の上に立つ古い宿だった。

宿からは海が見えた。

 

食事も宿泊者みんなで食べた後に、食器を洗わなくてはならなかった。

甘やかされて育ったためだろう。

中学二年生にもなって、食器の洗い方がよくわからなかった。

食器洗剤をそのまま食器に掛けて周りの人に笑われた。

 

大浦天主堂などの観光地を一通り回った。

観光地の一つで写真を撮ってくれとお願いしたことがある。

若い男性であった。

一人で来ているのかと尋ねられ、そうだと応えると、

「俺が案内してやる」という。

年は20代前半だろうか?

聞けば長崎大学のOBで、今日はみんなで集まるからそれまで暇だから付き合ってやるとのことだった。

彼の名前は忘れた。

長崎ちゃんぽんのうまい店に連れて行ってもらった。

長崎ちゃんぽんは初めて食べた。

リンガーハットが普及する前の話だ。

 

そして長崎大学近所の居酒屋での飲み会にも参加しろという。

酒は飲めない。しかし、無理に勧められて一口飲んだ酒は苦かった。

昔はなんでも大らかだった。

今となっては、彼らも若い人たちなのだが、当時は何を話しているのかついていけなかった。

しかし大学時代の友達と思い出話を語り合っている姿は羨ましくもあった。

 

8月14日の事だった。

なぜ覚えているかというと、翌日に精霊流しがあったからだ。

1982年の夏 − 1

  • 2018年08月16日

あれは中学二年生の夏だった。

或る日突然に 父が小遣いをくれた。

何万円かは忘れたが、中坊にとっては大金だった。

 

夏休みに「どこに行っても構わない。金を渡すから一人旅をしてこい」と

父は言った。

俺は何の疑問も持たずに、「わかった」と答えた。

 

父が何故大枚を小遣いで渡して、一人旅に送り出したのかは、

既に鬼門に入った今となっては聞くすべはない。

しかし、あの夏は特別だった。

—————————————————————-

どうして西へ行こうと思い立ったのかは不明だ。

もはや記憶にはない。

俺は国鉄に行って、寝台列車のチケットを買った。

JRなどまだなかった時代だ。

寝台列車とはブルートレインのことだ。

 

初めて寝る寝台列車のベッドは、中々寝付けなかった。

明け方に、瀬戸内海を通った。

初めてみる光景だった。

微睡んでいるうちに、やがて目的地の長崎についた。

 

当時は、長崎大水害の影響で、市を流れる中島川が氾濫し、名所である眼鏡橋も壊れてしまっていた。

何故眼鏡橋というかは、簡単で、半月の橋がアーチ状にふた山連なった橋だからだ。川面に映って、まるで眼鏡のように見えるからだ。