1982年の夏 - 2

  • 2018年08月20日

長崎ではユースホステルに宿泊した。

今ではそのユースホステルは見当たらない。

丘の上に立つ古い宿だった。

宿からは海が見えた。

 

食事も宿泊者みんなで食べた後に、食器を洗わなくてはならなかった。

甘やかされて育ったためだろう。

中学二年生にもなって、食器の洗い方がよくわからなかった。

食器洗剤をそのまま食器に掛けて周りの人に笑われた。

 

大浦天主堂などの観光地を一通り回った。

観光地の一つで写真を撮ってくれとお願いしたことがある。

若い男性であった。

一人で来ているのかと尋ねられ、そうだと応えると、

「俺が案内してやる」という。

年は20代前半だろうか?

聞けば長崎大学のOBで、今日はみんなで集まるからそれまで暇だから付き合ってやるとのことだった。

彼の名前は忘れた。

長崎ちゃんぽんのうまい店に連れて行ってもらった。

長崎ちゃんぽんは初めて食べた。

リンガーハットが普及する前の話だ。

 

そして長崎大学近所の居酒屋での飲み会にも参加しろという。

酒は飲めない。しかし、無理に勧められて一口飲んだ酒は苦かった。

昔はなんでも大らかだった。

今となっては、彼らも若い人たちなのだが、当時は何を話しているのかついていけなかった。

しかし大学時代の友達と思い出話を語り合っている姿は羨ましくもあった。

 

8月14日の事だった。

なぜ覚えているかというと、翌日に精霊流しがあったからだ。