お礼
- 2017年12月23日
先日無事に親族と父の親友のみで葬儀を執り行いました。
私が横にいるときに逝去いたしました。
耳元で父の好きだった曲を流してあげていました。
「長かろうと 短かかろうと 我が人生に悔いなし」との曲を供に旅立ちました。
恰好良かった父らしい散り際でした。
父の厳命により、密葬となりましたことご容赦いただければ幸いです。
安倍総理をはじめ数百もの弔電を賜りました。誠にありがとうございました。
まだ読み終わっておりませんが必ず目を通します。
献杯の挨拶を致しました。
〜〜〜
初夏に父から連絡があり 夕食を共にしました。
「俺はもうダメだ。長くない」と告げられました。
私は会社を数ヶ月休んでも構わないから一緒に旅に出ようと誘いました。
アフリカとか南米とか。父がまだ行っていない土地を一緒に回りたいと考えました。
しかし父からはそれよりも実家の大阪に行きたいとの答えが返ってきました。
すでに足が弱くなっていたし、容態も芳しくなかったからなのだと思います。
父の実家に先月訪問出来たのはとても嬉しかったようです。
別れ際に父が言いました。
「実はホッとしている。死に場所が見つかってホッとしている」
私には意味がわかりませんでした。
そして今でも意味がわからないでいます。
死に場所を見つけることが人生だという人もいます。
本当にそうなのでしょうか?私にはわかりません。
しかし、長い長い精神の彷徨の果てに安息の地を見つけたのならば、
父は幸せだったのだと思います。
だから、私は献杯と言わずに乾杯と敢えて言わせていただきます。
皆さんそれぞれの想いをお持ちでしょうから、乾杯でも献杯でも結構です。
それではご唱和ください。
乾杯