1982年の夏 − 1

  • 2018年08月16日

あれは中学二年生の夏だった。

或る日突然に 父が小遣いをくれた。

何万円かは忘れたが、中坊にとっては大金だった。

 

夏休みに「どこに行っても構わない。金を渡すから一人旅をしてこい」と

父は言った。

俺は何の疑問も持たずに、「わかった」と答えた。

 

父が何故大枚を小遣いで渡して、一人旅に送り出したのかは、

既に鬼門に入った今となっては聞くすべはない。

しかし、あの夏は特別だった。

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どうして西へ行こうと思い立ったのかは不明だ。

もはや記憶にはない。

俺は国鉄に行って、寝台列車のチケットを買った。

JRなどまだなかった時代だ。

寝台列車とはブルートレインのことだ。

 

初めて寝る寝台列車のベッドは、中々寝付けなかった。

明け方に、瀬戸内海を通った。

初めてみる光景だった。

微睡んでいるうちに、やがて目的地の長崎についた。

 

当時は、長崎大水害の影響で、市を流れる中島川が氾濫し、名所である眼鏡橋も壊れてしまっていた。

何故眼鏡橋というかは、簡単で、半月の橋がアーチ状にふた山連なった橋だからだ。川面に映って、まるで眼鏡のように見えるからだ。