Say it so
- 2017年11月08日
朝からミーティング
満員電車が嫌いだから早めに出る。
早朝について朝デニ。
珈琲を頼むと、トーストとゆで卵が付いてくるそうだ。
名古屋のモーニングみたいだ。
朝のひと時。
雨の東京。
朝からミーティング
満員電車が嫌いだから早めに出る。
早朝について朝デニ。
珈琲を頼むと、トーストとゆで卵が付いてくるそうだ。
名古屋のモーニングみたいだ。
朝のひと時。
雨の東京。
秋晴れ
いい天気だ。
こんな日は海に出てみたい。
波があればロングボード。
なければアウトリガーカヌーか、SUPをやりたい。
終わった後はシャワーを浴びてうまいコーヒーをいただく。
仕事をしてから、つかれたら裏山に走りに行く。
なんてことを妄想しながらBEACHのTシャツを着てお仕事中。
横浜の海を見ているだけでもよしとしよう!
三文字略語が多すぎますね。
SRIとESG投資の違い。
はっきり言うと、何もないですね。
SRIという言葉が死語になるのでしょう。
死語になった三文字略語集ができますね。
AIによる雇用喪失をベーシックインカムで補うことができるか?
面白い命題だと思います。
随分と書籍を紐解きましたが、AIは技術屋、ベーシックインカムは経済学者が中心であり、接点を見出すのは困難でした。
AIの専門書では、雇用喪失分をベーシックインカムで賄えば良いなどと、浅い見識でものをいう傾向が見られます。
日本のように世界屈指の少子高齢化社会であればある程度人口減を雇用喪失でカバーされる可能性は否定できませんが、それも極一部だし、日本だけの話です。
とても世界的な雇用喪失分を人口激増の世の中ではカバーできるはずもありません。
ディープラーニングにより、データを売買する時代が到来しました。
今後はAIというかGeneralを入れたAGIの時代が到来することは間違いないでしょう。
倫理面も含めて、ちょっと参画したほうが良いかなと思い、人工知能学会に入ることにしました。
ESD とはEducation for Sustainable Developmentの略であり、開発教育のことである。
「開発」という言葉がこれからのキーワードになる。
環境教育は環境教育で残るのだろうが、これからはもっと広く含有する開発教育が主流となっていくのだろう。
環境専門のコンサル会社を10年運営して来た。
知れば知るほど環境は奥が深い。
そして様々なことと結びついている。
最近は、防災、食料、医療にも関係させてもらっている。
教育の大切さを実感している。
ここから変えていくことが早道なのかも知れないと考えるに至った。
もちろん教育だけでできないことも多いが、流れを変えていくには鍵になるのではないだろうか。
ESDについてできることを考えている。
あれこれと手を広げるつもりはないのだが、業務と密接に関係しているので、何かしらできないかと模索している。
日々勉強。常在戦場。
筆が進む日もあれば 進まない日もある。
筆というよりもパソコンを使うのだから指といったほうが適切だろうか。
新たに始まる新聞連載の記事を書かなくてはならない。
10週分の3週までは終わった。あと7週間分を時間があるときに進めなくてはならない。
そしてもう直ぐ行う講演会の資料を一から作っている。
100ページほどである。
受講者にはできるだけ新しくてホットな内容を届けたいからだ。
しかし、時間があるからといって筆が進むわけではない。
その日の気分とかに影響されるのだろう。
筆が進む日は飛行機の中だろうが、電車の中だろうが、どんどんと書けてしまう。
しかし、筆が進まない日は1行もかけない日もある。
不思議なものだ。
調査報告書を書くときは気分に左右されることは少ない。
それでも1日5ページ程度が精一杯だろう。
わずか1行を書くために、1週間各地を奔走したこともあった。
自分が調べて納得したものしか書けない性分だからだ。
炬燵記事など1行もない。
他の誰かが調べてものを鵜呑みにするほどアホではない。
それはコピペであって努力ではないのだ。
今は報告書ではない。それでも中々進んでいかない。
こんな日は、フレンチジャズを聴きながらゆっくりと作業している。
剥奪という言葉は嫌いである。
経済学で有名な「相対的剥奪」は英語でも「relative deprivation」(マートン)
人が抱く不満は、その人の置かれる境遇の絶対的な劣悪さによるのではなく、主観的な期待水準と現実的な達成水準との格差による、という考え方である。
しかし、SDGsを考えていくときに、剥奪としての貧困は必ず検討しなくてはならない箇所である。
人間開発指数(HDI: Human Development Index)を用いるのか、
多次元貧困指数(Multidimensional Poverty Index)を用いるのかなどの技術的な点はさておき、
何かを略奪した覚えはないというのが一般的な感情ではなかろうか?
もっと適切な言葉がないだろうか?焦燥とか蹉跌とか。
ちょっと違うか。
しかし、relative deprivationの意味していることは、何かを略奪したとかされたとかいうものではない。だから、単語と意味が合致しないから誤解を生みやすいのだと思う。
そもそも大した論でもないと思う。
いずれにせよこれからは「開発」がキーワードになりそうだ。
ESDを軸として教育制度の改革が必要だと感じている。