朝は冷え込みました。
写真撮影を引き受けしました。
寒空の下コートもジャケットも脱いでの撮影です。
さすがに凍えました。
カメラマンも寝そべっての撮影です。
プロ根性ですね。写真という分野でのプロですね。
昼ご飯も無しで講演会です。
神奈川県産業廃棄物協会青年部主催のCSRセミナーに登壇しました。
横浜市立大学の影山摩子弥教授とはもう何度もご一緒させていただいております。
鋭いお話は何度聞いても実に刺激になります。
教授もある意味アカデミックな分野のブロです。
先生のプロとしてのお話は現場での活動に実に役になっています。
プロとして何ができるか?
inputだけでは頭でっかち。outputだけでは活動的な無知(by Goethe)になってしまう恐れがあります。
バランス。リスクをとる勇気。
一歩踏み出さなくては見えない世界があります。
環境専門のコンサルティング会社、環境プロジェクト開発会社として既に200件以上のプロジェクトの立案運営を各地で行ってきました。
言葉だけじゃダメなんだ。現場へ。
これが私の分野でのプロとしての矜持です。
隠岐諸島海士町を案内していただいている時に言われた事があります。
この郵便局の腰の辺りまで津波で浸水しました。
えっ?
いつの事かと思いきや、秋田沖地震の時だそうです。
ご記憶にありますか?
そんな昔の話ではありません。
1983年発生した日本海中部地震 マグニチュードは7.7。震度5。
秋田県・青森県・山形県の日本海側で10mを超える津波による被害がでたそうです。国内での死者は104人に上り、そのうち100人が津波による犠牲者。
しかし日本海の位置する隠岐諸島にまで津波が襲っていたとは知りませんでした。
実は韓国にも津波が来襲し、死者一人、行方不明者二人が記録されています。
当時は津波警報システムがまだ機能しておらず地震発生後15分後に発令されました。
奥尻島での津波。1993年7月12日の事です。
地震の4分後に津波が襲ってきました。
遠い昔の話ではありません。
http://youtu.be/YneZXe8gkig
歴史から何を学ぶのでしょう。
原発の安全性はどこまで確保されるのでしょうか?
日本の国土は世界の陸地面積の0.3%にも満たない。
しかし世界で発生する地震のおよそ10%が日本で起きると言われています。
1月15日に放送されたNHKスペシャル。
シリーズ原発危機 知られざる放射能汚染 海からの緊急報告は大きな話題になっているようです。
東京湾。しかも江戸川河口での高濃度セシウム検出が意味する事。
再放送されるそうです。
2012年1月19日(木) 午前0時15分~1時04分 総合 (18日深夜)
環境問題ではどうしても避けられない放射能汚染。
日本が背負う大きな問題に対して何ができるのだろうか?
世界が注目しています。
除染活動、除染事業のコンサルティングが増えています。
とても大切なことですし、新技術の開発の前線をする日々です。
膨大な予算が必要。すぐそこにある汚染の現場。
効果的であり現実的な対応。
環境専門のプロジェクト開発企業カーボンフリーコンサルティングは何ができるか?
あまりにも大きな問題に何ができるのか考える日々です。
緋扇(ヒオウギ)貝は本当に食べられるのか?
あとから着色したのではないかといった質問を受けました。
ちょっとかわいらしい映像を見つけました。
ひおうぎ貝
色彩豊かな実に美しい貝です。ホタテ貝と同じ科に属する湾口近くに生息します。
海士町で戴きました。
着色していません。磨くとこんなに美しい色になります。
食べても勿論美味しいです。
サザエにアワビ
値段はびっくりするぐらい安いですね。
海士町を後にします。その後二つの島を経由して境港を目指します。
いい出会いがありました。
皆さんに感謝です。
カーボンフリーコンサルティングを始めてから全国各地 世界の辺境地まで訪れます。
カーボンオフセットのみならず、環境ブランディング、環境CSR、省エネコンサル等々。
環境に関係する仕事は実に多岐に渡ります。
プロジェクト開発コンサルタントは西へ東へ。
環境の現場は世界各地 日本中にあります。
様々な土地を訪れそして地域の人々と接し、文化に触れます。
そしてこの仕事を愛しています。
——————————————–
2012年1月から新BLOGがスタートいたしました。 今までのBLOGは4年半もの間でアップロードした膨大なデータ量で立ち上がりが時間が掛かりご迷惑をお掛けいたしました。 今までのBLOGは左側のバナーからご覧いただけます。 旧ブログにも新BLOGへのバナーを設定いたしました。 お手数ですが今後はRSS登録などのご変更をお願いいたします。 引き続きのご愛読の程よろしくお願いいたします。
人もをし 人も恨(うら)めし あぢきなく
世を思ふ故(ゆゑ)に もの思ふ身は
(後鳥羽院)
現代訳はこんな風でしょうか?
人が愛おしいくも、人が恨めしくも思われる。
いまのわたし身では世の中はつまらないものと悩んでしまう
源氏と平家の戦いが続いていた激動の時代に産まれた後鳥羽天皇。
隠岐諸島 海士町で崩御された希代の歌人。
海士町での講演のあと歓迎会を催してくださいました。
三味線。踊り。
島の文化と人々の優しさに触れました。
日本は小さい。しかし奥深い。
上辺だけでない。流行りでない。
そんなもので文化や人の気質を変えてしまう事はあってはなりません。
コンサルタントとして筋の通った仕事をしたいと思いました。
島根県に或る隠岐諸島は訪れた事はありますか?
出雲縁結び空港から隠岐空港へ。
今日はそこから更にフェリーで1時間ほどいった島海士町にお邪魔しています。
環境と観光。
Iターンの人々の職の創出。
変えるべき事。変えてはならない事。
島の人々の優しさ。文化。
一時的な人気をとるような浅薄な事は断じて避けなければなりません。
ないものはない。その通りだと思います。
長い年月をかけて築き上げてきたシステムを尊重し、緩やかでそして地元の方々に長い間喜ばれるような変化。
これは仕事の醍醐味でもあります。