政府・行政関係のお仕事を沢山受託させていただいています。
その関係で毎年3月は、カーボンフリーコンサルティングにとっては師走のような状態です。
さながら今日は大晦日のようです。
これを終えてやっと年を越す気分です。
早めに業務を終了したスタッフは、既にお正月のような惚けた顔をしています。
私は幾つかのレポート作成や審査書類作成の作業を続けています。
辛いと言えば辛いですが一年の総決算はしっかりと行います。
今年は色々な新しい分野への足がかりができました。
4月にダッシュするために、まずは今週を乗り越えます。来年度はもっと大胆に攻めていくビジョンが描けています。
Barneys New Yorkのネクタイを買いました。
ちょっとご褒美。
PM2.5によるアレルギー性の咳が漸く治った。
黄砂にPM2.5に花粉。全く酷い時代になったものだ。
黄砂の発生源に6年前から植林しているが数が全然足らない。
もっともっと遣らなくては。
ボクシング再開。
シャドー3R. サンドバック3R. コーチとミット打 2R. サンドバック2R.
合計10Rで軽く汗を流す。
金曜日の夜。フランクシナトラ、Booker Litter. そして月光を繰り返し聞く。月光と言ってもベートーベンの方だ。
デビュッシーの月の光では名前は似ていてもどうもしっくりこない。
相棒はブレンドモルト。少し冷たいのを飲みたくなってオンザロック。
相変わらず全く環境に関係ない話し。
Good-night
永田町1−1−1 憲政会館の桜も満開です。
社会的な意義が乏しい仕事にはもう一歩も前に踏み出せない。
そんな気持ちで自ら起業してからもう何度目にもなる満開の桜を見てきました.
ベンチャーで成功して上場した経営者が、「お前達こうやればいいんだよ」と、したり顔で本でも書いても、
「あなたの仕事にはちっとも憧れていないんですけど」と、思われるのがオチなのでしょう。
後でとって付けたような意義などすぐに見破られてしまう。
SOHO ノマド プロボノ。
価値観の多様化。
そして働くことが食べるためではなくなってきた現代において、
若者が求めるものは自己実現であろうと思います。
金持ちになることを自己実現と考えるのは僅か数パーセントに過
ぎないのではないか?
青臭いと、あまちゃんだと、馬鹿にする前に、大人が社会的意義
のある仕事を作り上げて雇用を創出した方がよいと思います。
学校でも、メディアでも、社会起業家と煽っている現実。
しかし五年もつ会社は僅か15パーセントに過ぎない現実。
営利企業でもこの数値ならばどうやって社会起業家が生き残るのか?
起業した事も無いのに勝手に煽るのは無責任なのでしょう。
6年間少しでも社会が良くなるように闘ってきました。
そしてこれからもずっと闘って行くのでしょう。
兄が麻生太郎財務相に質問した内容が大きくメディアで取り上げられました。
物価目標に懐疑的であり、財務相なのに何で大蔵省といつも言ってしまうのですかね?
楽しい麻生節でしたが、身体を張って闘っている兄の姿を観ると励まされる想いです。
土俵は違うしスケールも違うのでしょう。しかし自分は自分の道できちんとした成果を残して行きたいと思います。
空拳なんかではない。小さなプロジェクトの積み重ね。
一歩一歩進んで行きたいものです。
久しぶりに湘南の海へ出かけました。
音も無く静かに進むカヤック。
暫し心のデトックス。
戻ってくると、収穫したワカメを釜で煮ていました。
鋳物の釜でなければうまいワカメを茹でる事ができないそうです。
お裾分けを戴きました。何もつけず、そのままで食べます。
塩味。活きたミネラルをそのまま取り込むような気がします。
いよいよラストスパート。
年度末に向けて駆け抜けます。
「NHKスペシャル メルトダウン 福島第一原発あのとき何が」を観ました。
電源を使わない冷却装置は使用したことが40年も無く、豚の鼻と呼ばれる所からの僅かな水蒸気を確認しただけで稼働しているとの判断がなされた。
また消防車からの冷却水注入も実は別の管へ流出しており、結果として冷却水不足によりメルトダウンを引き起こした。
これは今までの事故調査委員会での結果とは異なります。そしてその信憑性は極めて高いといえるでしょう。
現場で努力された方々を非難するのではなく、組織として危機管理体制が脆弱であったことの事実を受け止められるかどうか?
改革には必要な事なのでしょう。
3月14日の水素爆発の発生時に原発から近距離に居た私はあの時の事は忘れられません。
話題の書籍を読みました。
「兵士は起つ 自衛隊史上最大の作戦」杉山隆男
震災時における自衛隊の活躍は特筆するものがありました。
民間では到達できない、道路が津波により遮断されている地区へのヘリコプター等で救助に向かう姿を何度も目の前で見てきました。
しかしながら、大江健三郎氏の「ここで十分に政治的な立場を意識してこれをいうのだが、ぼくは、防衛大学生をぼくらの世代の若い日本人の弱み、一つの恥辱だと思っている。そして、ぼくは、防衛大学の志願者がすっかりなくなる方向へ働きかけたいと考えている」との1958年の発言を今でもここまで批判する事は異質なものを感じました。護憲派と呼ばれる人達でさえも、国と国民を守る最後の砦である自衛隊の意義と安保の機能の必要性を認める人が多いこの時代です。本書は筆者の私情を極力抑えて事実だけを書いた方が寧ろ良かったのではないかなとの感想を持ちました。しかしながら読む価値はあると思います。
被災地は瓦礫が撤去され地元での再開発の話しも纏まっている地区も増えています。しかし福島をフクシマとよぶようになってしまったのは哀しいですね。
引き続き微力ながら現地に役立つ事を続けていきたいと考えています。
http://ctcjapan.org