World trade centerが無いマンハッタンの景色にも漸く慣れた気がする。
Ground Zeroには事件後3年程は近寄れなかった。
宿泊していたホテルも倒壊してしまったので何となく足が遠くなってしまった。
馴染みのバーもレストランも時とともに変貌していく。
Birdlandには秋吉敏子が去った今も沢山の観客で二にぎわっている。
当たり前なのだろう30年も経てばマンハッタンも変わってゆく。
チェルーシー一帯の再開発はこれからの在り方なのだろう。
今では途上国相手の仕事ばかりであり、ニューヨークは只の通過点になってしまった。
自分も随分と変わったものだと思う。
さて、旅を続けるとしよう。
随分と前に、チェルシーで陶芸の展示会を行った。
久しぶりにフラットアイアン辺りを回ってみたが、画廊は移転していた。
Artの中心地であるが故に、生き残りも大変だ。
アーティストとしていくだけの才能も、根性もなかった。
趣味として中途半端な状態で続けるぐらいであれば、仕事に専念する為に筆を置いた、というか轆轤を止めた。
この街で一番影響を受けたのがJAZZである。
アメリカ横断から帰国して早速サックスを購入し、大学のJAZZ研に入った。
決して上手ではなかった。それでも楽器は好きだし聴くのも好きだ。
未だにJAZZは一番好きだ。
19歳の時、西から東へとアメリカを横断していた。
終着地点として辿り着いたのがニューヨークだった。
グレイハウンドの長距離バスが、ターミナルに到着したのは早朝であった。
不思議と摩天楼は紫色に煙って見えた。
一泊20ドルぐらいだっただろうか?共同シャワーのYMCAに泊まりマンハッタンを歩き回った。
あれから30年。随分とこの街にきた。
前職の時にはビジネスクラスで移動して、黒塗りの車が空港にお出迎えされていた。
Waldorf Astriaに宿泊し、何となく偉くなった気分でいた。
世の中の事など何一つ知らないのに。
久しぶりのニューヨーク。
僅かな僅かな時間だが、この街の喧噪に触れると、今の自分の立ち位置を再確認できるような気がする。
日本の夏は嫌いではない。
猛暑だし、湿気は多いし、不快な時も多い。
しかし、夏だからこそ味わえる事も多い。
折角もっと堪能したいのだけれど、お盆が終わるまで、ちょっくら出かけてきます。
首が回らなくなりました。
肩も硬直してしまいました。
水泳だけではどうしょうもなくて、短時間だけマッサージに行きました。
報告書作成もそろそろ山場です。
これが終わればすぐに出発です。
今度は地球の裏側にまで行かなくてはなりません。
数ヶ月ぶりのペルーです。
そろそろ旅の支度をします。
西部警察風