アメリカ大陸を南下していく。
メキシコを超えて現在は中米の上空だ。
メキシコでも仕事をしたい、パナマでも仕事したい、
カリブ諸島で仕事したい。
もう少しそれぞれが具体化したら数年以内に実施できるだろう
もう少ししたらペルー上空だ
仲間達が待ってる
鬼が笑うだろうが来年の予定をちょいと考えてみる。
ペルーのプロジェクトは これからが本番だから当然継続である。
その他の国の案件の進捗具合を精査してみる。
進めていきたい国のプロジェクト、継続するプロジェクト、
力をもっと注がないとならないプロジェクト。
個人的には知見に乏しい地域である。スタッフの力を借りて進めたい。
新しい仲間が加わる。
即戦力である。
もはや現体制では限界まで達している。
次の一手を打つ意味でも優秀な人材を獲得することが必要であった。
第2創業期は、過去を踏襲しつつも軸足の比重を変化させることにある。
やみくもに多分野に手を出すのではなく、軸を見直し少し広げることにある。
それは むしろ望ましいあるべき姿なのだと思う。
アメリカの話になったので
ちょっとだけアメリカの会社で働いた時のことを思い出してみたい。
学生気分が抜けない入社直後
というか入社日にいきなり出向させられたり、
ケイマン島のSPCの社長を何個かやらされたりした。
社内は世界中と回線で結ばれており今で言うメールが配備されていた。
テクノロジーがとにかく進んでいた。
圧倒的なスピードの速さである。
同期入社は1年で6割以上が去っていった。
しかし私には仕事が面白くてしょうがなかった。
知的好奇心が満たされる実践の場である
物凄い勉強もしなくてはならなかった。
土曜日日曜日などあったものではない。
初年度は休みゼロで元旦から働いた。
ついていかなくては生き残れなかった。
そういう仕事であったし、そういう時代だったのだと思う
そこに何の為に働くのかという根本的な答えは 考えないようにしていた。
考えることを避けていた。
楽しかったし、サラリーマンの何倍も稼いでいるのだからそれで良いのだと思っていた。
人生の浪費を随分としてしまい、回り道をしてしまった。
後悔はしていない。
いや、戻りたいと考えたことは一度もないが、
何故もっと早く起業しなかったのだろうかという事はある。
投資銀行時代のことは、正直どこまで自分の役に立っているのかわからない。
ゼロではないし100ではない。
ちょっと自分にとっては、長すぎただけなのだと思う。
しかし、気がついただけマシと考えることにしている。
人それぞれだろう。
このブログでもあまり投資銀行時代のことは書いていない。
折を見て書いてみたいと思う。