Refugees
- 2015年09月07日
ジプシーの家族に囲まれた。
子供が私のポケットに手を入れて財布を抜き出そうとした。
身を躱して難を逃れた。
よくある手である。
別に珍しいことではない。
青臭いことを言うつもりはない。
しかし移民が増えるということは、少なからず犯罪が増える。
これは致し方ないが、事実である。
貧困に陥れば盗みをしてでも生きなくてはならなくなる。
また、運良く職を得たとしたら、今度は自国民の職を奪ったと非難される。
難民を受け入れるということは大きな困難を伴う。
シリアの難民は400万人である。
シリアからの難民受け入れが、わずか数名の日本ではこのようなことは絵空ごとにしか聞こえないだろう。
ドイツはすでに数万人を受け入れ、1兆円にもなる費用を負担することになる。
同胞のアラブ諸国は金があるのに受け入れに極めて消極的である。
これは何を意味するのか?
移民受け入れ政策と犯罪対策は別に論じるべきだろう。
しかし、そう簡単ではないことは明らかだ。
我々はメルヘンの世界で生きているわけではない。
我々の隣国が極めて安全で親日というわけでもない。
それを知らないならば世界を知らないことだ。
どんなに海外を回ってもその事実を受け入れることができないならば、
日本の平和に溺れて何も見ていないのと同じだ。
平和を望むことは誰でも同じだろう。
しかし自らの平和を乱されるのであればそれを護らなくてはならない。
難民の受け入れはもっと行うべきだと強く思う。
世の中は整備をしなくてはならないことに溢れている。
多面的に捉えてそして解決速度と効果を出さなくてはならない。
安全を多額の税金を投与して買って守られているということ、
そしてそれがなくなれば、どれほど危険な状態なのかという事実認識を、
誤ってはならないのだと思う。