GET DOWN
- 2017年07月19日
Hey, YO. Let`s get down.
芸術が好きだ。
自分の仕事は一つの作品だと考えながら仕事をしている。
どんなに汚い仕事であっても、そこに綺麗なハーモニーが流れるような、
美しさを求めてきた。
作品には人間性が出る。
芸術家だから、天真爛漫で、時間や金に無頓着であっても、
奇天烈であっても構わない。
しかし、幼稚な思考であるとわかったら、一気に興ざめである。
思考が幼稚であったら、どんなに技巧が優れていても
その作品には魂がこもっていないと感じてしまう。
以前陶芸に打ち込んでいた時期があった。
腕の良い師匠のお陰で様々な技法を習得することができた。
大会に出れば上位に毎回入選していた。
ニューヨークで展示会まで開かせたもらった。
陶芸家と名乗っているような人の作品の良し悪しは
すぐに見破ることができるようになった。
それほど没頭した。
技術的にある程度の域に達すると、その先にあるのは「深淵」である。
深い井戸を淵から覗いてしまったのである。
これから先に進むには人を磨くしかないと自覚した。
それからは轆轤を回すことをやめてしまった。
10年前のことである。
陶工のような技巧を持っていない、かといって陶器を芸術まで高める能力がなければ
陶芸家などと名乗るべきではないと思う。
テレビに出ているような人の作品を見たことがあるが、
とてもその域に達していないと感じてしまったことが幾度かある。
作品を見れば人間性が見抜けてしまうのである。
作品とは怖いものだ。
業界団体や役所関係の役員を引き受けたら、仕事以外に忙殺されるようになってしまった。
私が役員になった以上は、変えるものは変えないと気が済まないからだ。
組織のあり方から、組織体制はもとより、フォント一つからして修正していかないとどうにも気分が悪いのである。
金にならないことを頼むのも嫌だし、自分の意図が正確に反映し貰えないのは困るのである。
というわけで、すべて自分でやれることはやってしまうのである。
一銭にもならない。時間ばかりを費やすことになる。損な性格だし、損な役回りである。
しかし、それは業界団体の地位向上を図ることに繋がるし、回り回ってビジネスチャンスも生まれてくるかもしれない。
短期的な目線で考えてはならないのである。
というわけで、3連休も無い。
また出張が始まるというのに、準備が追いついていないのである。
まあ、乗り切るしか無い。
30年前にアメリカにリュックサック一つで渡った。
サンフランシスコからニューヨーク、マイアミを通ってロスに帰った。
金はないが楽しい旅だった。
その時にあった友人がアメリカからやってきた。
この4人で会うのは30年ぶりだ。
随分と時間が流れたものだ。
ちなみにその時の旅の写真が6年前に記事になっていました。(日刊工業新聞2011年12月2日)
30年前もほっつき歩いていたのですが、今はもっと加速しているような。。。。まあいいか。