自立とネット信仰

  • 2016年04月25日

開発途上国の支援というと響は良いですね。

絶対的な正義を感じます。

しかしそんなに安易な世界ではありません。

想像とは大きく異なります。

もっと人の欲が絡み合った感情のぶつかり合いも避けては通れません。

まず、大前提として「支援」をするからには自分が「自立」していなくてはなりません。

精神的、経済的な自立です。

これはなかなか大変なことですが、ある意味支援を行うならば当然のことでしょう。

 

情報過多の時代。

指だけを動かして、左から右へ。

一次情報の収集をしないで、持論の展開、ご都合主義な書き込みばかり。

なんちゃってメディアの反乱。自分の足で取材をしていない。

web信仰、メール信仰、FB信仰、twitter信仰などなどネット信者が多いですね。

電話することすらしないで、指だけ動かす人々。

なぜか勝手に評論家になってしまう人々。

被災地支援すら、評論家気取り。

一番楽ですからね。一方通行ですから。

しかし、何も生み出していない。

それは支援の現場とは程遠い妄想の世界です。

 

人の心はそんな風にできていないですよね。

ものは使いようです。

私もこうしてBLOGも書くし、メールも多用しています。

しかし、膝と膝を突き合わせることなくして、どうやって相手の真意を理解するのでしょうか?

そのことすら理解できない人が多いことに寧ろ驚きます。

しかもネット至上主義の人に限って稚拙な文章しか書けない傾向が強いように感じます。

少なくとも通り一遍の羅列と、自分の感情を一方的にぶつける文章は大人は書くものではありません。

言霊を乗せ、一句一句を大切にしてほしいものです。

 

人は、微妙なところでしか機微を感じることはできません。

これは「支援」に限ったことではありません。

会って話す方が、メールで何往復するよりも遥かに深い話ができて、解決まで一気にもっていけます。

効率云々を言うのであれば、そのことを理解していないのではないでしょうか?

 

私が旧時代の人間というのではないと思います。

HP作成、wordpress、イラストレーター、曲作り、動画作成まで支障ないレベルでoutputできます。ネットは使うときは使います。

だからこそネット依存の甘さや、隙が目に付きます。

それでできるビジネスもありますが、多くのビジネスにおいてできることはたかが知れているという前提を持って、それを乗り越えるようにビジネスを作っていくべきだと思いますよ。

 

メモをとるのは紙でもパソコンでも構わないと思います。

しかし相手の面前でパチパチやる暇があるのであれば、

目を見て話し合って、後で自分でまとめれば良いのです。

 

メールで何がわかりますか?

ネットで何が解決するのでしょうか?

できないことの方が遥かに多いことを知らなければなりません。

過度な依存は良くありません。

 

途上国の支援を行うのであれば生命にも関わります。

常在戦場の世界で生きている私からみるとなんとも世の中わかっていないなーと映ります。

分かってないというか幼稚です。

自立してからやりましょう。

綺麗事を綺麗事でなく、成果としてoutputできるまでもっていくには、強さが必要です。

 

今はネット文化も玉石混淆の時代なのかもしれないですね。

例えば一世代先には、メール、電話、対面の使い分けやリテラシーがもっとしっかりとして、ビジネスマナーが徹底するのかもしれません。