原爆投下から70年。
民間人への無差別攻撃。
10万人以上の命が失われた。
その前の東京大空襲。
その後の長崎への原爆投下。
唯一の戦争被爆国であり、そして原発による被曝した国である。
平和構築は難しい。そして現在でも日本を取り巻く環境は決して平和ではない。
この日本における平和を維持するためには、防衛がどうしても必要だ。
理想の世界は、取り巻く環境も含めて皆が平和で暮らせる世界だろう。
しかし、現実は異なるのだから、維持するためには守らなくてはならない。
戦争では、原水爆ではなく銃や爆弾で多くの人が亡くなっている。
民族紛争では、もっと原始的な刀などで大量の人が亡くなっている。
武器の種類を変えたところで戦争は結局のところなくならない。
それでも原水爆廃絶。これは進めていくべきだろう。
70年経ち、風化してきてしまったものが多い。
被爆者が高齢化してきている現在において、後世に語り継がなくてはならないことは多いだろう。
平和への祈り。その想いの伝播。必要なのだろう。
帰国
赤道付近の国よりも暑いのではないか?
早速Y-PORTセンターの全体会議に出席
それにしても横浜市の職員の方々は優秀であり熱心である。
だからこそ他の地方自治体に先駆けてここまでY-PORTは発展しているのだろう。
この町は特別だ。今も昔も。そして進歩している。
足りないことはたくさんあるだろう。
当社の含めて補っていけば良い。
まずは、一歩を踏み出した。そして将来の明確なビジョンを共有した。
あとはどこまで貢献できるか?
ちょっと腕の見せ所。
さて明日から再び赤道直下に移動。
旅は続く

リマからダラスに向かう飛行機の中である。
深夜便 約8時間のフライトである。
飛行機材はものすごく古く、テレビもなければ音楽も聞けない。
今時こんなのよく飛んでいるなという程古い。
アジアを移動するときに使うLLCや、アメリカのエアラインの時に出くわす。
こういう仕事なので、移動が多い。そしてエコノミークラスでの移動である。
年齢的にも、地球半周を繰り返しているのは中々厳しい。
それでも何年も続けている。
改善しなくてはならない課題でもある。
出張でワクワクするのは初めのうちである。
その後、慣れてくると人によっては好奇心が薄れてくる。
私は目新しいものはなくなっても、人との関わりや文化といったことに興味があるので飽きるということはない。
此れには個人差があるのだと思う。
好奇心を維持できるかどうかも仕事の適性の一つであると思う。

知識と経験の両方を同時に得ることは難しい。
20年近く投資銀行で働いた
貴重な経験であった
外資系金融の黎明期から、リーマンショックの前までである。
しかし、辞めた。
投資銀行とういうのは専門職、職人の世界である。
その中で最先端の分野で働かせてもらった。
これほど長く勤務するともう新しい知識も経験も得られなくなってしまい、興味が湧かなくなってしまったのだ。
今にして思うと、もっと早く起業していればよかった。
ついつい楽な世界に長くいてしまった。
起業するならば社会貢献を生業にしたいとは考えていたが、
イメージしているような事業を行っている会社はなく、自分で起業することにしたというのが、実際のところである。
全く違う分野だから、猛烈に勉強した。
大学院の時に、たくさんの書物を読むことに慣れた事が役にたった。
私にとって大学院は特段キャリアに結びつくものではなかったし、得られる知識も
実務で得られる知識に比べれば僅かにすぎなかった。
仲良しクラブに入るつもりもなかった。
だけど、振り返れば知識を吸収する方法について学んだのだとおもう。
それは役に立った。
知識は努力でスピードを上げて得られる。
経験は場数なのだろう。これは致し方ない。
しかし、社会常識や金融からのものの見方というのは、前職が役にたった。
これは、どんな場面にでくわしても、最低限乗り越えられる土壌になっていると感じている。
まるっきり無駄ではなかったのだ。

環境貢献や人道支援を事業として行う。
これは実に厳しいビジネスモデルだ。
我ながらよくもこんなビジネスモデルを選んだモノだと思う。
前例となるモノがなければ手探りで進めるしかなかった。
後から真似して始めるなど簡単だから多くをパクられた。
しかしそんな輩は自分が本物でない事は自分が一番わかっているのだろう。
社会貢献と言いつつ実は我が身への埋められないモノを埋めていくような活動であった。
表現しづらいのであるが、人のためと言いつつもどこか自分のためだったりする。
それは金銭的なモノではなく、満たされ無い何かだったように思う。
ある種の狂気が入り混じった状態で、
葛藤しながら進んできたと思う。
世の中には、絶対的な正義というモノはないし、多面的に見れば見るほど、何かを選択してこなくてはならなかった。
それは選ぶという事であるが、捨てるということでもある。
改善するためには何かを捨てなければなら無い。
全部が丸く収まるような最大公約数を選んで得られるモノは、自己満足だけだからだ。
そして、それを「よくやりました」と公言するような薄っぺらな生き方に対する反発心をもてば持つほど、
表に出る活動はしなくなってしまう。
本物でいたいし、支援活動というのはそんなものだろう。
そんな仕事の進め方でよいと思っている。

学生が仲間と何となく起業していることをよく見かける
プチ起業とかいって主婦が空いた時間で起業しているらしい
いずれもアリだとおもう。
自由な時代である。
好きなことができるのであれやればよい。
人がとやかく言うことではない。
評論家気取りで上からものをいう資格が誰にあろうか?
頭でっかちというよりも、誰かが言った言葉のコピペで
モノを言うべきではない
聞きたい人がいるならば自分の経験を語ればよい
それまでは黙っていればよい
