Across the sea
- 2014年08月10日
こんな小さな船に乗って 100年以上前に
はるばると
ペルーまで
この場所に来るたびに
先人達の苦労と大地を懸命に生き抜いた姿に想いを馳せる
昼
今日は医療施設などを六ケ所訪問。
靴の底をすりへらす。
リマ市
この地で二つ目のプロジェクトを推進中
といっても、コンサルは影の存在に徹するべきだと考えている。
事業リスクをとるのは、クライアントであるからだ。
対価はクライアントの笑顔である。
信頼である。
それくらいが丁度良い。
夜
ペルーの有名人のお二方と会食。
ホテルに戻り、ケニアのプロジェクトの資料作成。
3時間程仮眠して早朝から作業再開。
やっと仕上げた。
随分とグローバル化したものだと感じる朝。

地球の裏側にいくのに必要な事は、時差の調整だろう。
私は、どこの国に行ってもその場でフルマラソンを走れるぐらいの体力はある。
そのかわり、移動の時の睡眠のタイミングなどには注意している。
いい仕事をするには、できるだけ頭をシャープにしておきたいからだ。
ただでさえ鈍い頭だから。
World trade centerが無いマンハッタンの景色にも漸く慣れた気がする。
Ground Zeroには事件後3年程は近寄れなかった。
宿泊していたホテルも倒壊してしまったので何となく足が遠くなってしまった。
馴染みのバーもレストランも時とともに変貌していく。
Birdlandには秋吉敏子が去った今も沢山の観客で二にぎわっている。
当たり前なのだろう30年も経てばマンハッタンも変わってゆく。
チェルーシー一帯の再開発はこれからの在り方なのだろう。
今では途上国相手の仕事ばかりであり、ニューヨークは只の通過点になってしまった。
自分も随分と変わったものだと思う。
さて、旅を続けるとしよう。
随分と前に、チェルシーで陶芸の展示会を行った。
久しぶりにフラットアイアン辺りを回ってみたが、画廊は移転していた。
Artの中心地であるが故に、生き残りも大変だ。
アーティストとしていくだけの才能も、根性もなかった。
趣味として中途半端な状態で続けるぐらいであれば、仕事に専念する為に筆を置いた、というか轆轤を止めた。
この街で一番影響を受けたのがJAZZである。
アメリカ横断から帰国して早速サックスを購入し、大学のJAZZ研に入った。
決して上手ではなかった。それでも楽器は好きだし聴くのも好きだ。
未だにJAZZは一番好きだ。
19歳の時、西から東へとアメリカを横断していた。
終着地点として辿り着いたのがニューヨークだった。
グレイハウンドの長距離バスが、ターミナルに到着したのは早朝であった。
不思議と摩天楼は紫色に煙って見えた。
一泊20ドルぐらいだっただろうか?共同シャワーのYMCAに泊まりマンハッタンを歩き回った。
あれから30年。随分とこの街にきた。
前職の時にはビジネスクラスで移動して、黒塗りの車が空港にお出迎えされていた。
Waldorf Astriaに宿泊し、何となく偉くなった気分でいた。
世の中の事など何一つ知らないのに。
久しぶりのニューヨーク。
僅かな僅かな時間だが、この街の喧噪に触れると、今の自分の立ち位置を再確認できるような気がする。