参議院選挙に寄せて

  • 2016年06月30日

参議院選挙も中盤ですね。

私は、立場上政治の話は書かないようにしてきました。

仕事相手にはできるだけ兄が国会議員であることは伏せてきました。

だから、このブログを読んで初めて知った方が多いと思います。

 

なぜか?

仕事と政治はきちんと分けておかないとならないですからね。

政治的圧力で仕事を得たなんて根も葉もないことを言われたら不本意ですからね。

勿論そんなことは一切ありません!!!

兄はそんなことを許す人ではありません。

私が、誰も知り合いのいない街に移ってきて、誰もやったことのないビジネスを、無名(当たり前か)の会社を立ち上げたのも、

自らやり遂げるためだからです。

私はそうまでして仕事を得ようなんて考えたこともありませんし、

兄もそういう小さな考えで生きている人ではないのです。

 

 

客観的な事実ですが、

「国会議員三ツ星データブック」において、4年連続三ツ星議員に選出。

平成25年7月に行った国会議員質問力評価(国会議員の通信簿)において、全参議院議員242名中第1位に選出される。

(以上特定非営利活動法人万年野党主催)

国会での質疑を170回以上行っている。

これらは、今までのどの議員にもない実績です。

議員として有能なことは明らかですね。

 

 

何を話しても、身贔屓に聞こえるかもしれませんが、ちょっと身内だから付け加えますね。

兄は、極めて優秀でありそして努力家です。これは出会った多くの方が感じていると思います。

しかし、真面目なだけでなく、男気がありウェットな性格なのです。

そしてバランス感覚がとても良いのです。正義感が強いのです。

 

私は、弟ですから自分が生まれた時から現在まで、ずっと兄を見てきました。これまた当たり前ですね。

 

私が小学1年生の時のことです。

「武志起きてごらん。朝日が綺麗だから」と私は兄に朝4時に起こされました。

夏の或る日のことです。

 

「毎朝そんなに早く起きてなんで勉強しているの?」と私は尋ねました。

「それは、立派な大人になるためだよ」と当時小学6年生の兄は答えました。

 

毎朝のことです。毎朝4時に起きて勉強を続けていました。

今もあまり生活は変わっていないようです。早起きして、人よりも努力する。

今でも私には立派な大人の意味がいまいち理解できていません。

そして、それほどの気力が長続きしたこともありません。

まあ普通はできないことなのでしょう。

兄は意志が強いのです。

 

 

一時だけ盛り上げるのは簡単です。

しかし3年後、5年後、10年後その場所に立っていますか?

毎日続けていけますか?

兄はやり通します。

そういう人なのです。

7年前に横浜市長選で僅差で敗れた翌日も、元旦も兄は駆け回っていました。

低き処に水溜まる。

一方で、辛い時には人は集まってこないものです。

それでも続けることができるかどうかが、真贋の分岐点ではないでしょうか?

 

みんな色んなものを背負って生きています。

『浮き沈み七度』という諺があります。

人生には何度も浮き沈みがある。それが人生の常であるから、一喜一憂するにはおよばないという意味です。

誰もが悩み苦しみそしてそれでも生きていかなくてはならない。

ならば批判する暇があったら、自ら立ち上がれば良いはずです。

私は立ち上がった兄を応援しています。

 

私は人生の岐路に立った時、いつも兄に相談していました。

世の中には100%の正解は出せないことばかりです。

どちらに行っても良いことばかりとは限らない。

混沌としている世の中では何が正しいのかも疑わしいです。

何かを選べば何かを失う。

岐路とはそういうものでしょう。

誰もが経験したことがあるでしょう。

私の場合には、そのような時に精一杯聞いてくれて、応援してくれたのが兄でした。

そしてその時得た言葉はいつも全て正しかったと感じています。

状況の見極めと、判断力が突出しているのだと思います。

だけど、それができる人は他にもいるかもしれません。

何よりも、

人間くさいから、

人の気持ちがわかるから、

意志が強いから、

すべてひっくるめて私は兄を敬愛しているのです。

 

兄は今後も国会議員でいるべき人材だと確信しています。

いえいえ。その程度の想いではないですね。

もっと国の中心に行って、この国を良くしてもらいたいと願っています。

 

夢でしょうか?

私は全然そうは思いません。

それほどの逸材です。

http://www.nakanishikenji.jp

 

いよいよ選挙も佳境に入ってきます。

泣いて暮らすも一生笑って暮らすも一生。

何を笑うかも人それぞれ。

 

兄には悔いのないように頑張って欲しいと願っています。

またこの場を借りまして、ボランティアの方々、ご支援いただいている方々に心よりお礼申し上げます。

 

 

英国のEU離脱に寄せて

  • 2016年06月26日

世界恐慌だとのニュースが記事が目につきます。

果たしてそうでしょうか?

持論の展開をするのは好きではありませんが、ちょっと整理してみたいと思います。

 

まず、重要な点としては次の二つが挙げられます。

* イギリスの通貨はユーロではない。

* イギリスが破綻したのでもない。

 

このことを冷静に受け止めるべきだと思います。

何より、危機を煽り、EU加盟の負の部分のみを広めることの方が問題は大きいと考えます。

思いもしなかったという発言が飛び交っていますが、それはいかがなものでしょうか?

サミットでも取り上げられましたし、そもそも国民投票を行うことは予め全世界が知っていて、さらに票は拮抗していたのですから。

その片方に振れたからといって思いもしなかったというのは、そもそも真面目に考えていなかっただけなのでしょう。

初めての事態というのならばその通りですが。

 

英国の離脱により、EUと言う「制度」が瓦解する可能性が高まることが最も高いリスクなのでしょう。

まずは、冷静になり、沈静化するようにチカラを合わせるべき時なのでしょう。

 

この事態は、経済問題というよりも政策問題と解釈した方がよいです。

大量の移民が入ってきて、特に単純労働の雇用が奪われたら、流石に弱者は生きていけない危機に直面します。

その数毎年20万人に登ります。

経済移民の受け入れ制限とEU加盟は密接であり、これは自国にいる弱者を守るためにも必要なのでしょう。

保護すべきである難民の制限ではありません。経済移民のことです。

経済移民は、2004年にEUに加盟した旧東欧諸国からの移民労働者が主流です。

 

水は高いところから低いところに流れて拮抗したところまで行き着く。

経済国へ、流れていくのは自明の理です。

その逆に、イギリス人が旧東欧諸国へ移民労働者になることはあるのか?

決してそうはなりません。

ならば双方向ではなく一方通行です。

 

キャメロン首相は政策をミスしてしまったのでしょう。

EUは理念は理解できるが、自国の弱者対策がなおざりになっている。との批判は強かったのです。

また、自国民の利益を守ることよりもEU加盟国全体の利益を守るならば、経済統合ではなく、政治統合が必要になります。

果たしてそんなことができるか?

EUの大統領のフルネームを言える人がどれ程いるのか?

EUは経済連合ではありません。欧州自由貿易連合は別にあります。

ならば、経済統合だけではなく、政治・政策の共有化を進める必要があるのでしょう。

 

 

 

 

 

慰霊の日に寄せて

  • 2016年06月23日

6月23日 慰霊の日

今年も沖縄に行けませんでした。

もう7年も前のブログに記載していました。

http://carbonfree.co.jp/cp-bin/blog/index.php?day=20090624

 

戦争による惨禍が再び起こることのないよう、

人類普遍の願いである恒久の平和を希求するとともに

戦没者の霊を慰めるための日

 

不戦の誓いの日でもあります。

今後も平和が続きますように。

 

 

鰻屋の似合う男

  • 2016年06月23日

人間の、また人生の正しい姿とは何ぞや。

欲するところを素直に欲し、いやな物はいやだと言う、要はそれだけのことだ。

-by ango sakaguchi

 

ドストエフスキーは分からぬ。

しかしこちらは分かる。

 

坂口安吾には、銀座のバーよりも

場末の鰻屋の方が似合うと思う。

お礼

  • 2016年06月22日

沢山の誕生日の祝言賜りました。ありがとうございます。

ご支援いただいた方々皆様に感謝です。

 

どんな大人になりたかったのかなと振り返ってみました。

物書きになりたかったです。

世界を回りたかったです。

社会貢献したかったです。

アーティストになりたかったです。

 

いろいろあって我ながら面倒くさい性格です。

ごっちゃ混ぜにしたら今の仕事になってしまいました。

こんな仕事あるなんて知らなかったし、

どうやら日本中探してもないし。

結局自分で作っていくしかありませんでした。

自分で会社を作ったのはわずか10年前です。

すでにいい大人になってしまっていました。

 

ぼんやりと勉強してきて、

なんとなく就職して、

それなりに頑張ってきて。

それでもどこか心に引っかかることがあり、

結局起業をしました。

苦しい10年でしたが、最も充実した10年だったかもしれません。

週末も祝日もありません。盆も正月もありません。

働き続けた10年でした。

 

人生も後半戦に入りました。

いや。とっくに入っていたのかもしれません。

年の半分近くを海外転戦する日々。

靴の底をすり減らし、泥だらけになる日々。

 

フィリピンのスモーキーマウンテンで工場建設

震災の傷跡の残るアチェで奮闘した日々

サモアの夕日

ケニアの空と大地

ハノイの夜

ペルーの砂漠

ラオスの山の中

ジャカルタの街

ブラジルのジャングル

ジョージアの教会

 

そして何より出会った人々

この仕事を始めなければ決して出会えなかった方々です。

お陰様で大きな財産ができました。

 

これからは国内事業の再構築も進めてまいります。

これからの1年。カッ飛んでいきたいと思います。

 

 

 

富山湾沿い 立山連峰

  • 2016年06月18日

電車はたまに来る

バスはもっとたまに来る。

富山県の片田舎

富山湾沿いを行く。

氷見までもう少し。

氷見はブリで有名だが、黒部川の西側に連なる立山連峰を望む景色、魚介類、温泉などでも有名だ。

 

富山高岡の夜

  • 2016年06月17日

富山高岡

この街で食事をしながら色々と話し込みます。

飲みながら食べながら。

長い話し合いは、会議室だけでは終わらないですからね。