永遠のゼロを読みました。
百田尚樹氏のデビュー作にして代表作なのでしょう。
『戦後多くの新聞が、国民に愛国心を捨てさせるような論陣を張った。まるで国を愛することは罪であるかのように。一見、戦前と逆のことを行なっているように見えるが、自らを正義と信じ、愚かな国民に教えてやろうという姿勢は、まったく同じだ。その結果はどうだ。今日、この国ほど、自らの国を軽蔑し、近隣諸国におもねる売国奴的な政治家や文化人を生み出した国はない。』
登場人物の一人の言葉です。かなり過激な言葉を使っています。
しかし、何が起こったかを戦争経験者から直接聞ける機会はどんどんと減ってきています。全てを否定するよりも、そこからの学ぶことにより得られたことを後世に伝える必要性を感じます。
軍人全てを軍部に洗脳されていた、テロリストと同じだと言う考え方はあまりに浅薄なのでしょう。
戦争はあってはならない。しかし、戦前戦中の日本を全て否定する近代史も歴史を歪めているのではないかと考えてしまいます。
「国を愛すること」が、右傾視されて思われてしまう日本の風潮に一種の危機感を感じます。「安倍内閣になり右傾化が強まった」との見方も、あまりに今まで左に寄りすぎていたのではないかと個人的に感じています。日本の復興を支えてきた産業がここまで強烈な円高で沈みかけているのに政府は何も手を打たなかった事実。個社の努力を越えた領域は国として何を守るのかという最も基本的なことを忘れていたかのようにも感じます。
私は左でも右でもないニュートラルな立場を貫きたいと思います。
そのことによってノンポリと揶揄されても構いません。
筆やデモで平和を勝ち取るならばそれはそれで良いのでしょうが、私は具体的なプロジェクトを世界各地で実施することによって行動で勝ち取っていきたいと考えています。
国際支援、環境プロジェクト、人道支援。呼び名は構わない。
しかし一人でも多くの人々に安定した生活を自分の命と引き換えに与えられたらそれで良いと考えています。
ここでは何を始められるでしょうか。@フィリピン

今年は豪雪ですね。
新幹線で一路新潟へ。
あっという間に雪国に到着です。
新幹線ができて久しいですがアクセスが激変したことを感じます。
スノーボーダーなので雪を見るとそわそわします。
特に朝一番の誰も入ったことの無いトラックを滑るのが大好きです。
ゴンドラはいつも一番前に並んでいます。
早朝の山頂の凛とした空気。
行きたくなってしまいました。
明日から南に向かいます。

自由人だとか、自由人になりたいとかいう、不思議な人に出会う事がある。
話しを聞くと、スーツが嫌だとか、会社に所属することや命令されるのが嫌だとか、旅人でありたいとか。。。。。
スーツ着ていれば、奴隷、社畜だとでも言うのか?
勤め人には自由が無いとでも言うのか?
なんとも浅薄な考えである。
フリーランスや自由業ならよくわかる。
専門家だ。努力と才能で成り立つ厳しい仕事だ。
しかし自由人などという言葉は全然キャッチーな言葉ではないし、単に胡散臭さが漂うだけである。
寧ろ言葉に縛られて虚栄を張る惨めさすら漂う。
結局はみかけごときに拘り、肝心な本質を見ていない。
自由人どころか、全然ロックではない。
人によって何を自由と感じるなんて全く異なるし、価値観の押し付けなど真っ平ごめんだ。
日々精進。
それが、私が自由だと感じることだ。
背負うものも大きいし、やりたい事も多い。
背負うものがあるからこそ今まで見えなかった世界を観ることができる。
一人ではできない事が多いからだ。
やるのもやらぬのも自分次第。
戦いたいから戦っている。
だからこそ私は自由人だと感じている。
しかしそれがどうした。
人それぞれだろう。
人にいちいち言うものではない。
ありとあらゆる肩書きなど無用と思ってもそれは自分の胸の中にしまっておけば良い。
寧ろ、きちんとした身なりできちんとした肩書きを持って働いた方が遥かに自由にそして意義の深い仕事ができることがある事を、まともな大人ならば誰もが知っているのだろう。
そんな格好悪い言葉遊びで自ら牢獄に入るような窮屈な自由で、自由人ぶっている奴らなどドロップキックだ。
ロベン島 ネルソン・マンデラ この狭い牢獄で18年間過ごした。
勿論自由などない。しかし時間だけは沢山あったことで、未来の南アフリカについて詳細なイメージが組み立てられた。
考える事は自由。
ましてや、誰も拘束することのできない身である人々が自由でないとは一体どういう事だろう。
己の影を否定してどうする。誰かの所為にすべきではない。
その道を選んだのは自分以外ではないはずだ。
全力で戦ったから勝てる。
そんなに世の中は単純ではないのはよく分かっています。
しかし全力で戦う事でしか己の限界を知る事はできないし、それを高める事もできません。
昔は高嶺だったが、できるようになるとそれが日常になる。
だから、いつも少しだけ背伸びをして戦って行かなければならない。
特にリーダーならば、どんなに不様でも戦う姿から、部下が学ぶことは多い。
そういう上司しか尊敬しないし、学ぶことがないと自分ならば考えるからだ。
一日一冊の本を読む生活を何年も続けている。
そして徹底して現場を踏む。
だから、現実離れした机上話は賛同しないし、アカデミックな裏付けのない経験話も賛同しない。
この両輪を携える事でしか、自分よりも遥かに大きなライバルに勝つことなどできない。
日々精進
自分の限界は自分で決めないことにしたいものだ。
AAB = ABOVE AND BEYOND
REDD研究開発センター
平成24年度公開セミナー案内気候変動と途上国の森林を考える2日間~グリーン・エコノミーの時代における熱帯林保全をめぐって
1日目 参加型セミナー「REDDプラスって何?~植林からREDDプラスへ~」
(カーボンフリーコンサルティング登壇)
2日目 技術セミナー 「REDDプラスphase3へのシナリオ」
初日のセッション2とパネルディスカッションに登壇いたします。
http://www.ffpri.affrc.go.jp/redd-rdc/ja/seminars/schedule/2013/02/07/01.html
是非お越し下さい。
貨幣単位だけでなく生命体単位で数えてみよう。
何の事は無い。
単に人口比率で考えれば良いだけだ。
人口の60-70パーセントがBOPベースオブザピラミッドである。
では、資本主義経済を中心としたレッドエコノミーは僅か30-40パーセントにすぎない。
そのうちの、環境なりに追加的にお金を支払うことができる人口は全体の何パーセントいるのか?
例えは悪いが、途上国の一人の命と先進国の一人の命を本当に同等と考えているのだろうか?
様々な意見があるだろう。
冗談じゃない。一日一ドルの収入しかない人と自分が同じ訳がない。
そうでしょう。貨幣価値という軸では勿論そうです。
大統領と自分が同じ価値でもないのでしょう。
では選挙権も、お金持ちが10票で普通の人は1票にしたら如何か?
悪い冗談である。
人の価値を測る物差しは一つではない。
ならばどのような尺度で、先進国の一人と途上国の一人の価値の差を判断するのか?
同じようなことは、企業でも見受けられる。
大企業は全会社数の、0.5パーセントに満たない。
大変マイナーな存在である。
しかし、従業員数、取引高などを考慮すれば莫大なパワーになる。
しかし、だからと言って一部の大企業ばかりでは世の中は回るわけでもない。
そして、大企業の従業員よりも、遥かに優秀で立派な経歴を保有している零細企業の人々は無数におり、彼らの価値と会社の価値は別物である。
何を言いたいのか?グリーンエコノミーはレッドエコノミーの上層部しかできない仕組みである。
ならば人口ピラミッドから考えればあまりにも参加者が少ないという事である。
グリーンエコノミーの根幹は、レッドエコノミーの中でも余裕がある人に環境貢献を求めるものである。
数ではなく、金額の大小の軸である。
では、環境貢献、人道支援にどこまで真に役にたつのか?
グリーンエコノミーは貢献するのは確かであろう。
しかし、BOP層との富の共創が課題解決の根幹であるとの考えがブルーエコノミーの発想である。
自立を促す為に、キャパシティデベロップメントを如何にソフト面でサポートしていくか?
お金がハードとするならば、ソフトがなければ、コンピュータは単なる箱である。
グリーンエコノミーは悪いものではないし、勿論有用である。
しかし、効果的な対策を考えるならば、お金をレッドエコノミーの一部から施すという従来の概念から離脱し、ソフト面でも支えて、環境に配慮した成長を共に創る考え、ブルーエコノミーの構築がもっと必要なのだと思う。
ODAはその意味では、お金だけではなくて、キャパシティデベロップメントを念頭においたものが多いわけだから、両面を兼ね備えている。
施しではなく、自立するための支援。