お世話になった方が亡くなった。
つい最近元気な声を聞いたばかりだったのに。
叱咤激励をいただき、そして温かい目で見守っていただいていたのに、
あまりに急すぎるよ。
一旦帰国を考えたが、遺志を継いで任務を全うする事にした。
葬儀にも参列できない自分を呪う気持ちがある。
人としてよいのかどうかと思ってしまう。
今私が抜けて帰国したらこのプロジェクトは頓挫する。
しかし彼ならば笑いながら続けたほうがよいと言うと確信している。
帰ったら墓前に花を供えて報告にうかがいます。
どうぞ安らかにお休みください。

アチェ州に来ています。
史上最大の災害の1つ スマトラ島地震
23万人の方がお亡くなりになっています。
泥だらけになりながらフィールドで作業をしています。


中継地であるジャカルタに到着しました。
この街には、祖父のお墓があります。
日本からこの地に渡り、インドネシア映画の父と呼ばれた祖父。
葬儀にはスカルノ大統領も駆けつけたそうです。
数十年ぶりで東京国際映画祭でも上映されました。
毎年は来られないですがジャカルタに寄った折りには祖父の墓前を訪れることにしています。
今日は墓前に近況を報告致しました。
環境の仕事を始めてから様々な国と地域を訪問させていただきました。
北極圏から南極まで。アフリカも南米も。
環境の仕事は現場に入らないと分からない事ばかりです。
解決できない事だらけです。
正しい知識を身につけて正しい行動をとる。

その両輪無くして、環境貢献はできません。
勉強だけしていてもダメ。
行動的な無知になってもダメ。
調査だけしていてもダメ。
経済的に回る仕組みを組み立てなくては永続的な活動は展開できません。
環境活動を安易にWebサイトを用いた活動に依存してはなりません。
ライフスタイルを変えるだけでは環境は変わりません。
流行り物に飛びつくのではなく、地に足がしっかりとついた行動無くしては何も産まれません。
明日は西へ移動します。
東京大学に初めて足を踏み入れたのは、兄の合格発表の日だった。
私は当時中学生だった。掲示板に番号を見つけて「アッター」と叫んだ。
その瞬間に回りを体育会系の学生に囲まれて胴上げされた。
当時は中学生のくせに見かけが大学生のようだったのか、自分が当事者だと勘違いされたのだ。
あれから随分月日が流れ、2つ目の大学院として東大に入学する事になった。
合格したときはとても嬉しかった事を覚えている。俺が学問の世界と実社会を結びつけてやるぜ、くらいの気負いもあった
しかし色々悩み、休学し、そして中退してしまった。
人生において後悔する事は幾つもあるが、これもその一つだ。
今思えば、違った人生になっていたのだと思う。
更に月日は流れ、いつの間にか東大で講演をさせてもらったり、今日みたいに、東大の最先端技術をビジネスで活用する為の打合せをさせて貰ったりしている。
銀杏並木。
私は大学の中で東大が一番美しいキャンパスだと思う。
少々ほろ苦い思い出があるが、それでもこの大学とともに新しい展開を目指したいと思う。
週末ですが仕事が終わらずオフィスに籠っています。
静かなオフィス。
来週からの出張の間にできない事を片付けています。
開発途上国での仕事は、フィールドに集中しなくてはならないですし、電波の状況によっては中々連絡が取れなくなってしまうからです。
少しでもデスクワークは処理しておかなくてはなりません。
疲れを癒す為に絵を描きました。
そろそろ時期なので、今年も書いてみました。
左が今年、右が去年

興栄商事様の新社屋のお披露目式に参列させていただきました。
長年お取り引きをさせていただいているお客様の発展は嬉しいものです。
海が一望できるハイテク工場。CSRへの先駆的な取り組み。
社員の方々のご努力の結晶ですね。
大変刺激になりました。
急いで、と或る懇親会に向かいます。
まだ公表されていませんので内容はお伝えできませんが。
横浜が本社だと都内との行き来の時間がどうしても掛かってしまいます。
ギリギリ間に合いました。
猛暑の中で奮闘した成果を感じることができた機会になりました。
お客様の喜ばれる顔をみるのは嬉しいものです。
皆さんこれから始まるプロジェクトを熱心に語られていました。
我々のプロジェクトも多くの期待を集めている事が分かりました。
未だ見ぬ世界に集まった方々は一斉に飛び立っていきます。
続いて同業者の集まりにもお招きいただきました。
20名程の会でした。
省庁との直接の意見交換ができる貴重な場になりました。
毎回大変刺激を受けるため参加する事をいつも楽しみにしています。
今回もアレンジが素晴らしく、濃い内容でした。
幹事には御礼申し上げます。
気がつけば日付が変わろうとしていました。
朝から晩まで走り回った一日。
しかし多くの喜びがあった一日になりました。