ペルー料理
はっきり言ってセビーチェである。
酢漬けである。
これが口に合わないと辛いだろう。
しかし何度もくると、セビーチェにもうまい上手くないはあることがわかる。
うまいセビーチェは堪らなくうまい。
まずいセビーチェはよろしくない。
お腹が痛くなった経験が幾度か有る。
酒はピスコサワーである。
卵白が乗っている。
なにはともあれこの二つである。
勿論それ以外にもあるのであるが、圧倒的なのはその二つであり、田舎に行ったら、食べ物の幅もぐっと狭くなる。
リマでは必ずというか、相当な頻度でトシロー寿司のお世話になる。
ペルーにおける日本人で大変著名なかたである。
大変な努力家であり、博学でもある。
強面だが優しい。
実は隠れて好きなのはうにである。
日本にいる時にはあまり食べない。
産地に行った時などにしかあまりたべない。
寿司ネタとしてはあまり良いものに出会わないからでもある。
ペルーのウニは上手いと思う。
ウニが沢山入ったパスタなどは好物である。
遠いといえば遠い。
ペルーは地球の裏側である。
最短でも20時間は掛かる。
いい歳して移動はエコノミーである。
いや、年齢や役職などからビジネスクラスに搭乗する権利はあるのだが、
乗ろうとは思わない。
仕事柄である。
帯同する役所の方や国連の方がエコノミーで移動することが多いのに自分が上のクラスというのもバツが悪い。
とはいっても、たまに顧客が手配してくださった搭乗券がビジネスであったりするとちょっと嬉しかったりする。
それは、すべて移動距離が長いからだと思う。
30時間程度のフライトは堪える。
たまに到着してから何時間も悪路を揺られながら進まなくてはならないこともある。
こうなってくると身体が資本である。
若いうちはよい。
しかし何年も何年も続けられるかどうか?
これは中々大変なことである。
最初は楽しい、働いている自分に酔っているなどなど、幾つかの理由で乗り越えられるのであるが、普通の神経をしていればいい加減嫌になってくるであろう。
向き不向きと言うのがある。
この仕事に向いているのは、好奇心が旺盛だということも大切な要素であると思う。
さて、旅を続けるとしよう。
アメリカ大陸を南下していく。
メキシコを超えて現在は中米の上空だ。
メキシコでも仕事をしたい、パナマでも仕事したい、
カリブ諸島で仕事したい。
もう少しそれぞれが具体化したら数年以内に実施できるだろう
もう少ししたらペルー上空だ
仲間達が待ってる
鬼が笑うだろうが来年の予定をちょいと考えてみる。
ペルーのプロジェクトは これからが本番だから当然継続である。
その他の国の案件の進捗具合を精査してみる。
進めていきたい国のプロジェクト、継続するプロジェクト、
力をもっと注がないとならないプロジェクト。
個人的には知見に乏しい地域である。スタッフの力を借りて進めたい。
新しい仲間が加わる。
即戦力である。
もはや現体制では限界まで達している。
次の一手を打つ意味でも優秀な人材を獲得することが必要であった。
第2創業期は、過去を踏襲しつつも軸足の比重を変化させることにある。
やみくもに多分野に手を出すのではなく、軸を見直し少し広げることにある。
それは むしろ望ましいあるべき姿なのだと思う。
アメリカの話になったので
ちょっとだけアメリカの会社で働いた時のことを思い出してみたい。
学生気分が抜けない入社直後
というか入社日にいきなり出向させられたり、
ケイマン島のSPCの社長を何個かやらされたりした。
社内は世界中と回線で結ばれており今で言うメールが配備されていた。
テクノロジーがとにかく進んでいた。
圧倒的なスピードの速さである。
同期入社は1年で6割以上が去っていった。
しかし私には仕事が面白くてしょうがなかった。
知的好奇心が満たされる実践の場である
物凄い勉強もしなくてはならなかった。
土曜日日曜日などあったものではない。
初年度は休みゼロで元旦から働いた。
ついていかなくては生き残れなかった。
そういう仕事であったし、そういう時代だったのだと思う
そこに何の為に働くのかという根本的な答えは 考えないようにしていた。
考えることを避けていた。
楽しかったし、サラリーマンの何倍も稼いでいるのだからそれで良いのだと思っていた。
人生の浪費を随分としてしまい、回り道をしてしまった。
後悔はしていない。
いや、戻りたいと考えたことは一度もないが、
何故もっと早く起業しなかったのだろうかという事はある。
投資銀行時代のことは、正直どこまで自分の役に立っているのかわからない。
ゼロではないし100ではない。
ちょっと自分にとっては、長すぎただけなのだと思う。
しかし、気がついただけマシと考えることにしている。
人それぞれだろう。
このブログでもあまり投資銀行時代のことは書いていない。
折を見て書いてみたいと思う。
ロサンゼルス
19の時にはアメリカ縦断をしたのだが
その出発点である。
ロサンゼルスで出会った友から久しぶりにメールをいただいた。
考えてみたらもう、30年近くになる。
随分と年をとったものだ。
その時代はトップガンが流行っていて
パイロットのジャケットを購入したことを覚えている
ホテルカリフォルニアなんてあらためて聞いたりした。
アメリカの会社で長いこと働かせて貰った
随分と長い期間である
凄いところも知っているし、
しょうもないところも知っている。
そりゃそうでしょう。17年も働けば嫌でもわかる。
あれから随分と色々な経験をさせてもらった
しかし自分にとっての出発点は19の時なのだと考えている
あの時のようにバックパックひとつで生きているわけではないし
背負っているものもそれなりにあるのであるが
太平洋上空である
蒔かぬ種は生えぬという言葉がある
起業してから8年目になって
今更ながら人とのご縁 仕事のご縁の大切さが身に染みる
営業をしたことはなかった
お客様がお客様を紹介してくださったり、
しっかりした仕事を誰かがみていることにより雇われたりしてきた
営業の体制を整えればもっと売り上げは伸びたのだろう
しかしコンサルタントという仕事柄
きっちりとした身の丈を考えた進め方を取りたかった
仕事の芽とはそんなところなのだろうと思う
何故かちきゅうのはんたいがわでもいくつかお仕事をさせていただいているのも
ご縁
せっかく芽を出させていただいたのだから
思いっきり日の光を浴びてすくすくと伸びていきたいものである