公的資金の検証
- 2026年08月23日
先日、クールジャパン機構について調べていて、少し驚く数字に出会いました。
山形県鶴岡市のバイオベンチャー、Spiber(スパイバー)です。
「人工クモの糸」で一躍有名になった会社、と言えば思い出す方も多いかもしれません。
慶應義塾大学発のベンチャーとしてスタートし、微生物の発酵技術を使って人工的にタンパク質素材をつくる会社です。
石油由来の素材に代わる可能性を持つとして、世界的にも注目されました。
私自身、こういう技術は大好きです。
日本の地方から世界に挑戦する。
山形県鶴岡市に世界各国から研究者や技術者が集まり、そこから新しい素材を世界へ送り出す。
実に夢のある話です。
ところが、決算の数字を見て驚きました。
旧Spiberの2024年12月期の売上高は約4億1,400万円。
そして最終赤字は約295億円です。
さらに2025年12月期。
売上高は約1億7,700万円。
そして最終赤字は、
約438億円。
最初、桁を見間違えたのかと思いました。
売上1.77億円に対して、最終赤字438億円です。
もちろん、438億円を一年間にすべて現金で使ってしまった、という意味ではありません。
海外事業などに関する資産の減損なども含まれています。
ですから、
「1億8,000万円しか売っていないのに438億円を一年で使った」
という理解は正しくありません。
しかし、それを考慮しても、私は率直に思います。
ここまで来る前に、経営として止まれなかったのでしょうか。
ベンチャー企業ですから、赤字そのものは珍しくありません。
新しい技術を事業化するには巨額の研究開発費が必要です。
さらに新素材を量産するとなれば、工場も必要です。
AmazonもTeslaも成長過程では赤字でした。
ですから、
赤字だから失敗だ
と言うつもりはありません。
問題は、その赤字の向こう側に、
本当に採算の取れる事業が見えていたのか
ということです。
一方でSpiberは研究だけをしていた会社ではありません。
Brewed Protein™という素材を実際に商品化し、世界的なアパレルブランドとも共同開発を行っています。
タイには量産工場も建設しました。
つまり、
技術開発には成功しました。
製品化にも成功しました。
量産化にも挑戦しました。
しかし経営において最も重要な、
事業として継続的に利益を生み出すところまで到達することができませんでした。
ここは非常に重要だと思います。
技術として成立していても、量産コスト、販売価格、そして市場規模が噛み合わなければ、事業としては成立しません。
Spiberの場合、まさにこの「技術を事業に変える最後の壁」を越えられなかったのではないでしょうか。
そして、この会社には非常に大きな資金が投入されてきました。
研究開発。
工場建設。
海外展開。
世界からの人材採用。
そして企業としての情報発信。
新しい素材を世の中に広めようとすれば、広報やマーケティングにも一定の費用が必要です。
「人工クモの糸」という非常に分かりやすい物語もあり、Spiberは多くのメディアで紹介されてきました。
有名ブランドとの共同開発も積極的に発信されています。
私は、こうした情報発信自体に問題があるとは思いません。
新素材は、まず知ってもらわなければ採用されません。
むしろ市場をつくる段階では、積極的な広報も必要でしょう。
ただ、結果としてこれほど大きな損失に至った以上、
研究開発、設備、人材、海外展開、そして広報などに、どのようなバランスで経営資源を配分していたのか
については、一度振り返ってみる必要があると思います。
情報発信によって世の中の期待が高まる。
その期待によって資金が集まる。
そして、その資金によって事業を成長させる。
これはベンチャー企業として自然な流れです。
問題は、その最後です。
実際の販売量が増え、事業として採算が取れるところまで到達できたのか。
メディアで注目されることと、事業として成功することは同じではありません。
そこは冷静に分けて考える必要があると思います。
そして、中でも私が驚いたのが、クールジャパン機構です。
クールジャパン機構はSpiberに対して、
2018年に30億円。
2021年にさらに110億円。
合計140億円を出資しました。
2021年の追加支援について、クールジャパン機構は米国での量産化に向けた資金提供などを目的とし、米国の量産プラント建設、研究開発、紡糸設備などに資金を活用すると説明していました。つまり、研究段階ではなく、いよいよ「事業化から産業化へ進む」という判断だったわけです。
ここで、さらに気になる数字があります。
1,350億円です。
2021年9月、Spiberは第三者割当増資244億円と事業価値証券化100億円、合計344億円の資金調達を発表しました。
カーライル、海外の大手投資家、そしてクールジャパン機構などが参加し、この資金調達後のSpiberの株式評価額は約1,350億円とされました。
これは単にSpiber自身が「うちの会社は1,350億円の価値があります」と言った数字ではありません。
実際に外部投資家がその水準で資金を入れた結果として形成された評価です。
ですから、当時それだけ大きな期待があったことは間違いありません。
カーライルの当時の発表を見ると、その理由として、
Spiberのタンパク質素材技術。
サステナブル素材に対する世界的な需要拡大。
タイ工場での量産。
米国で予定していた量産。
グローバル展開。
そして数年以内の上場。
こうした将来性が強調されています。
なるほど、と思います。
ただ、私はここでもう一つ知りたくなります。
では、1,350億円という評価額の根拠となった「事業の数字」は何だったのでしょうか。
例えば、
何年後に売上100億円を超える計画だったのでしょうか。
何年後に黒字化する計画だったのでしょうか。
Brewed Protein™を年間何トン販売する計画だったのでしょうか。
その時の販売単価はいくらだったのでしょうか。
量産によって製造原価をどこまで下げられると見込んでいたのでしょうか。
タイ工場、そして米国工場の稼働率をどの程度想定していたのでしょうか。
そして、その計画から逆算して、本当に1,350億円という株式評価額が妥当だったのでしょうか。
少なくとも私が確認した当時の公表資料では、技術力や市場の成長可能性、量産化、グローバル展開、将来の上場については詳しく説明されています。
一方、
1,350億円という評価を支える具体的な売上計画、利益計画、製造原価、販売数量などは一般には明らかになっていません。
もちろん、非上場企業の資金調達ですから、すべてを公開する義務があるわけではありません。
民間投資家だけの投資であれば、それは投資家が自分でデューデリジェンスを行い、自分のお金でリスクを取ればよい話です。
しかし、ここには公的資金が入っています。
クールジャパン機構は通常の民間ベンチャーキャピタルではありません。
政府が大部分を出資する官民ファンドです。
しかもクールジャパン機構自身が掲げる投資判断の基準には、「政策的意義」だけではなく、**「収益性確保」**も明記されています。
だからこそ、
2021年の時点で、どのような事業計画と収益予測をもとに追加投資を判断したのか。
ここは非常に重要だと思います。
世界に通用する可能性のある日本発の新素材です。
民間だけでは取りにくいリスクを官民ファンドが取る。
その考え方自体は理解できます。
しかし、
「技術が素晴らしい」
「サステナブル素材の市場は伸びる」
「世界展開できる」
という期待と、
「この会社にいくらの価値があり、いくらまでなら投資として回収できるのか」
という判断は別です。
むしろ公的資金だからこそ、そこは冷静でなければならなかったのではないでしょうか。
そして現在も「Spiber」という名前の会社は存在し、事業も続いています。
これだけを見ると、
「会社は存続しているのだから、まだ失敗したわけではない」
と思うかもしれません。
しかし、実際に起きたことを見ると、もう少し厳しい状況だったことが分かります。
旧Spiberは約300億円規模の債務超過を解消できず、事業を別会社へ譲渡した後、特別清算を申し立てる方針になったと報じられています。東京商工リサーチによれば、2025年12月期の最終赤字は約438億円でした。
事業を引き継いだ会社が現在の「Spiber」となり、事業を続けています。
一方、旧Spiberは別の社名に変更され、残った資産や債務を整理する側に回っています。
ここで少し興味深い資料があります。
東京地方裁判所は「特別清算開始申立書」の記載例を一般公開しています。
もちろん、これはSpiberについて書かれたものではありません。
あくまで特別清算についての一般的な記載例です。
裁判所自身も、特別清算とは、解散後の株式会社について、清算の遂行に著しい支障が生じる事情や債務超過の疑いがある場合に、裁判所の監督のもとで行われる特別な清算手続だと説明しています。
その記載例には、
「債務超過であることから、特別清算を申し立てるに至った。」
というケースが示されています。
ですから、
「Spiberは倒産した」
と単純に表現するのは適切ではないと思います。
法的には破産手続ではありません。
しかし経営の実態としては、
旧会社のままでは従来の債務を抱えて事業を継続することが難しくなり、将来性のある事業を切り離して再出発する必要があった
ということです。
私は、
旧Spiberは実質的に経営が行き詰まり、事業再生を必要とする状態になった
という表現が実態に近いのではないかと思います。
ここで、2021年の「1,350億円」という数字をもう一度思い出します。
一時は株式価値が約1,350億円と評価された会社です。
それがわずか数年後には、大幅な債務超過となり、旧会社のままでは事業を続けることができなくなりました。
ただし、技術や事業そのものの価値がゼロになったわけではありません。
東京商工リサーチは、スポンサーとなった会社への事業譲渡価額を約50億円と報じています。
ここは数字の比較には注意が必要です。
1,350億円は2021年時点の「株式評価額」です。
一方、約50億円は経営再生局面における「事業譲渡価額」と報じられている数字です。
同じものを同じ時点で評価した数字ではありませんから、
「1,350億円が50億円になった」
と単純に比較することはできません。
それでも、この落差は非常に大きいと感じます。
そして私は、ここについてもう一つ思うことがあります。
事業譲渡価額については、できる限り公表してほしいと思います。
現時点で約50億円という数字は報道によるものです。
一方、クールジャパン機構が2026年6月に公表した資料では、旧会社に対する投資経緯や旧会社株式を創業者兼経営者へ譲渡したことは説明されていますが、譲渡価格は明示されていません。
もちろん、企業再生の取引です。
スポンサーとの契約や守秘義務もあるでしょう。
すべての条件を公表できない事情があることも理解できます。
しかし、多額の公的資金が投入された案件です。
最終的に、
事業はいくらで譲渡されたのか。
その価格はどのように算定されたのか。
公的資金を出した側はいくら回収できたのか。
少なくとも可能な範囲で、こうした情報は国民に示した方がよいのではないでしょうか。
成功したときだけ投資額や企業価値を大きく公表し、うまくいかなかったときの回収額や譲渡価額が分からない。
それでは、公的投資の成否を外部から検証することができません。
特に今回のように、一時は1,350億円という評価を受けた企業です。
その企業が事業再生に入り、事業が別会社へ譲渡されたのであれば、
最終的に何がいくらの価値として残ったのか
というところまで説明して、初めて投資の結果が見えるのではないでしょうか。
もう一点、制度の構造として少し気になるところがあります。
クールジャパン機構には政府だけではなく、広告、メディア、情報発信などに関係する民間企業も株主として参加しています。
クールジャパンという政策目的を考えれば、そうした企業が参加すること自体には合理性があります。
また、それらの株主企業とSpiberの広報活動との間に、不適切な関係があったという事実を私は確認していません。
ですから、何か問題があったと申し上げるつもりもありません。
ただ、公的資金を扱う組織である以上、
投資をする側、投資先、そして投資先に広告・広報などのサービスを提供する側との関係については、外から見ても分かりやすい透明性があった方がよい
とは思います。
これは疑うためというより、余計な疑念を生まないためです。
新しい技術を社会に広めるには広告も広報も必要です。
しかし、公的資金が関係する以上、その資金が最終的にどのような経済活動につながったのかを説明できることも大切だと思います。
ベンチャー投資には失敗があります。
それは当然です。
10社に投資して、そのうち1社が世界企業になれば、ファンド全体では大きな利益を生むという考え方もあります。
失敗を一切許さないのであれば、官民ファンドの意味もなくなります。
しかし、
失敗を許容することと、その結果を検証しないことは全く違います。
なぜ投資したのでしょうか。
なぜ追加投資したのでしょうか。
なぜ当時1,350億円もの株式価値が認められたのでしょうか。
その時点で、何年後にどのくらいの売上と利益を想定していたのでしょうか。
製造原価はどこまで下がる計画だったのでしょうか。
どの数字が計画から外れたのでしょうか。
どの段階で計画を見直したのでしょうか。
そして、最終的にどれだけの価値が残り、公的資金はいくら回収できたのでしょうか。
私は、ここまで検証する必要があると思います。
研究開発型企業ですから、外から決算数字だけを見て、単純に「放漫経営だった」と断定することは避けるべきでしょう。
ただ、
これほどの資金を調達し、
世界から人材を集め、
海外に工場をつくり、
積極的に情報を発信し、
一時は1,350億円もの株式評価を受け、
それでも十分な売上と利益につなげることができず、
最終的に大規模な事業再生に至った。
この経緯については、経営としてしっかり振り返る必要があると思います。
同時に、公的資金を投入した側も、その判断を検証する必要があります。
夢のある技術だったから。
世界に通用する可能性があったから。
ベンチャー投資だから失敗もあるから。
それだけで終わらせるべきではありません。
夢を見ることは大切です。
挑戦する企業も必要です。
失敗を恐れていては、新しい産業など生まれません。
しかし、
技術の可能性を信じることと、経営数字を冷静に見ることは両立します。
そして、
メディアで注目されることと、事業として成功することも別の話です。
最終的には顧客が商品を買い、売上が増え、利益を生み、その利益から研究開発や設備投資を続けられるようになって、初めて持続的な事業になります。
研究者は技術の可能性を追求する。
経営者は、その技術を事業として成立させる。
そして公的資金を預かる投資家は、その判断と結果を説明する。
この三つを分けて考えることが大切なのだと思います。
Spiberという技術の挑戦は、これからも続くでしょう。
それは応援したいと思います。
新しい会社が、これまでの経験を生かし、本当に採算の取れる事業として成長するのであれば、それは日本にとっても素晴らしいことです。
だからこそ、
夢のある技術への期待と、経営の評価、そして公的資金の投資判断への評価は、きちんと分けて考える。
成功した部分は評価する。
うまくいかなかった部分は検証する。
投資したときの評価額だけではなく、最終的な回収額や事業譲渡の条件も可能な限り明らかにする。
そして、その経験を次の投資に生かす。
私は今回の案件を見て、それが一番大切なのではないかと感じました。













