走り出したら何か答えが出るだろうなんて

  • 2013年02月11日

どんなに一生懸命ぶっ倒れるまで働いても結果が出なければ何も遣らないのと同じです。

過程なんて関係ないし大人ならば人に苦労話や泣き言なんて言うものではありません。

しかし一生懸命ぶっ倒れるまで遣らなければやってる当人には見えない世界があると感じています。

私がとことん遣るのはその先にある何かをみたいからです。

自分が背伸びしなければ成長などできないからです。

この三日間で得難い知識を習得できました。

と言うわけで三連休を返上して働いた仲間に感謝して、泥のような眠りにつきます。

おやすみなさい。

watch?v=-RuXQnYlBUg

https://www.youtube.com/watch?v=-RuXQnYlBUg

時間が無いが自由を感じる

  • 2013年02月11日

日本は三連休。

何故か睡眠不足と戦いながら働いています。

スタッフの多くは率先して頑張ってくれています。

この成果がきちんと報われるようにしたいです。

努力の成果はこの世界を回り回って多くの笑顔を産み出す事。

 

好きな仕事だから頑張れるのでしょうね。

皆に感謝。そして働く事も働かない事も自由。

時間が無くても、遣らなくてはならない事は多くても、自分はとことん自由なのだと感じています。

諦める事なんて簡単ですからね。

美しき街

  • 2013年02月06日

セブ市の市長との面談は2時間にも及びました。

戦前のセブの写真集を見せていただきました。

今はない鉄道が走り、都市の構造はとても整理されて美しい建築物が並んでいました。

都市としてどんどんと人口が増えていき、近代化が進む途上国の都市部。

廃棄物問題、電気問題、水問題、大気問題。

これらの問題がクリアされる時には自ずと街は美しくなるのだと思います。

社会的な意義の大きさに怯むこと無く全力を尽くすのみです。

再びフィリピンへ

  • 2013年02月06日

2ヶ月ぶりに戻ってきました。

青い空。人々は明るい。

この仕事を遣っていなければ決して入らなかった場所に多く訪問しています。

今日の現場もそんな場所です。

一人では辛い現場です。

今回も心強い仲間とともに訪れています。

環境の仕事は本当に奥が深い。

人道支援と環境の両立。

環境と経済の両立。

難しいようでありますが、可能なことは随分多いと考えています。

 

 

0 ゼロ

  • 2013年02月05日

永遠のゼロを読みました。

百田尚樹氏のデビュー作にして代表作なのでしょう。

『戦後多くの新聞が、国民に愛国心を捨てさせるような論陣を張った。まるで国を愛することは罪であるかのように。一見、戦前と逆のことを行なっているように見えるが、自らを正義と信じ、愚かな国民に教えてやろうという姿勢は、まったく同じだ。その結果はどうだ。今日、この国ほど、自らの国を軽蔑し、近隣諸国におもねる売国奴的な政治家や文化人を生み出した国はない。』

登場人物の一人の言葉です。かなり過激な言葉を使っています。

しかし、何が起こったかを戦争経験者から直接聞ける機会はどんどんと減ってきています。全てを否定するよりも、そこからの学ぶことにより得られたことを後世に伝える必要性を感じます。

軍人全てを軍部に洗脳されていた、テロリストと同じだと言う考え方はあまりに浅薄なのでしょう。

 

戦争はあってはならない。しかし、戦前戦中の日本を全て否定する近代史も歴史を歪めているのではないかと考えてしまいます。

「国を愛すること」が、右傾視されて思われてしまう日本の風潮に一種の危機感を感じます。「安倍内閣になり右傾化が強まった」との見方も、あまりに今まで左に寄りすぎていたのではないかと個人的に感じています。日本の復興を支えてきた産業がここまで強烈な円高で沈みかけているのに政府は何も手を打たなかった事実。個社の努力を越えた領域は国として何を守るのかという最も基本的なことを忘れていたかのようにも感じます。

私は左でも右でもないニュートラルな立場を貫きたいと思います。

そのことによってノンポリと揶揄されても構いません。

筆やデモで平和を勝ち取るならばそれはそれで良いのでしょうが、私は具体的なプロジェクトを世界各地で実施することによって行動で勝ち取っていきたいと考えています。

国際支援、環境プロジェクト、人道支援。呼び名は構わない。

しかし一人でも多くの人々に安定した生活を自分の命と引き換えに与えられたらそれで良いと考えています。

 

ここでは何を始められるでしょうか。@フィリピン

 

 

新潟へ そして 南へ

  • 2013年02月04日

今年は豪雪ですね。

新幹線で一路新潟へ。

あっという間に雪国に到着です。

新幹線ができて久しいですがアクセスが激変したことを感じます。

スノーボーダーなので雪を見るとそわそわします。

特に朝一番の誰も入ったことの無いトラックを滑るのが大好きです。

ゴンドラはいつも一番前に並んでいます。

早朝の山頂の凛とした空気。

行きたくなってしまいました。

 

明日から南に向かいます。

 

自由人という名の困った人々

  • 2013年02月01日

自由人だとか、自由人になりたいとかいう、不思議な人に出会う事がある。

話しを聞くと、スーツが嫌だとか、会社に所属することや命令されるのが嫌だとか、旅人でありたいとか。。。。。

スーツ着ていれば、奴隷、社畜だとでも言うのか?

勤め人には自由が無いとでも言うのか?

なんとも浅薄な考えである。

 

フリーランスや自由業ならよくわかる。

専門家だ。努力と才能で成り立つ厳しい仕事だ。

しかし自由人などという言葉は全然キャッチーな言葉ではないし、単に胡散臭さが漂うだけである。

寧ろ言葉に縛られて虚栄を張る惨めさすら漂う。

結局はみかけごときに拘り、肝心な本質を見ていない。

自由人どころか、全然ロックではない。

 

人によって何を自由と感じるなんて全く異なるし、価値観の押し付けなど真っ平ごめんだ。

 

日々精進。

それが、私が自由だと感じることだ。

背負うものも大きいし、やりたい事も多い。

背負うものがあるからこそ今まで見えなかった世界を観ることができる。

一人ではできない事が多いからだ。

やるのもやらぬのも自分次第。

戦いたいから戦っている。

だからこそ私は自由人だと感じている。

しかしそれがどうした。

人それぞれだろう。

人にいちいち言うものではない。

 

ありとあらゆる肩書きなど無用と思ってもそれは自分の胸の中にしまっておけば良い。

寧ろ、きちんとした身なりできちんとした肩書きを持って働いた方が遥かに自由にそして意義の深い仕事ができることがある事を、まともな大人ならば誰もが知っているのだろう。

 

そんな格好悪い言葉遊びで自ら牢獄に入るような窮屈な自由で、自由人ぶっている奴らなどドロップキックだ。

ロベン島 ネルソン・マンデラ この狭い牢獄で18年間過ごした。

勿論自由などない。しかし時間だけは沢山あったことで、未来の南アフリカについて詳細なイメージが組み立てられた。

考える事は自由。

ましてや、誰も拘束することのできない身である人々が自由でないとは一体どういう事だろう。

己の影を否定してどうする。誰かの所為にすべきではない。

その道を選んだのは自分以外ではないはずだ。